<まちかどエッセー・小田中しおり>悪夢の就活 私はどこへ

小田中しおり[おだなか・しおり]さん 作業療法士。1963年仙台市生まれ。旧国立仙台病院付属リハビリテーション学院卒。98年国家資格取得。生活介護施設、障害児等療育支援事業所、特別支援学校で身体・発達障害児者を支援している。仙台市青葉区在住。

 本年度の就職活動はコロナ禍で大変だったのではないでしょうか。今は作業療法士の仕事をする私ですが、20代は、短大を出て東京の政府系金融機関で働くOLでした。バブル期の少し前の就活のお話をします。
 損害保険会社の最終面接の前日、早めに就寝した私は深夜、腹痛で目が覚めました。今まで経験がない痛みで、救急車で病院へ。そのまま入院となり、翌朝、医師から虫垂炎の診断を受けたのでした。私は懇願しました。「就職の面接が午後にあるので手術を延期できませんか」と。しかし無情にも当日午後の手術が決まってしまいました。
 病室に戻った私は、教育実習のリポートのことを思い出しました。提出が遅れたら教職免許が取れなくなります。ベッドのテーブルで必死にリポートを書き終え、ベッドに倒れ込むと、そのまま手術室に運ばれたのでした。
 退院した私の就活は振り出しに戻りました。病み上がりで思うように動けない私の状況を父が会社の上司に相談したところ、紹介してくれたのが政府系金融機関でした。職場の情報を得る余裕もなく、指定の時間に面接に行きました。人事担当者は感じの良い方でまずまずの感触。
 ほっとしてビルの玄関を出た時、父が血相を変えて走ってくるではありませんか。「間違えた! 3階に行って!」と。私が面接に来ていないと父の上司に電話があり、そこで初めて父は○○公庫を同じビルにある△△公庫と勘違いして伝えていたことに気付いたそうです。きびすを返してビルに戻り面接に向かった私。これまた感じの良い人事担当者が笑顔で迎えてくれました。そして後日、どちらからも内定を頂きました。私の悪夢のような就活がやっと終わったのでした。
 結局、父の上司が紹介してくれた金融機関に就職しましたが、飛び入りした私に対応してくれた△△公庫の人事担当者の優しさが今でも心に残っています。
(作業療法士)

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まちかどエッセー

 仙台・宮城在住の執筆者が、それぞれの活動や暮らしで感じたことをつづります。

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