<まちかどエッセー・小田中しおり>再び学生に

小田中しおり[おだなか・しおり]さん 作業療法士。1963年仙台市生まれ。旧国立仙台病院付属リハビリテーション学院卒。98年国家資格取得。生活介護施設、障害児等療育支援事業所、特別支援学校で身体・発達障害児者を支援している。仙台市青葉区在住。

 20代の数年間、金融機関で働いていた私でしたが、結婚を機に退職しました。金融の仕事は経済の中心を担うやりがいのあるものでしたし、職場の雰囲気も良く同期にも恵まれていたのですが、いつか何かの資格を取って、専門的な仕事がしたいと心に秘めていたのです。
 高校時代の友人の結婚式で同級生と再会しました。大学病院でリハビリの仕事をしているという彼女。その時初めて作業療法士の存在を知ったのでした。やってみたい! 胸がどきどきしました。すぐにその資格が取れる学校を探すと、通える範囲で国立の学校があるではありませんか。学費は安く、受験科目に苦手な社会がありません。もう受験するしかないと本棚の隅にあった古い参考書をやおら引っ張り出しました。今考えると何であんなにエネルギーがあったのかと不思議でなりません。
 ところが数学の微分積分の問題あたりで壁にぶつかりました。宅浪なので全く情報が得られません。とにかく1年目は出題傾向を知るために下見するつもりで取り組むことにしました。けれども試験時間中に問題を解けずにボーッとしているのはつらい。取りあえず一通りはやろうとコツコツ机に向かっていました。
 受験票が届きました。受験番号は29番。定員は20人だから競争率は低いに違いないと勝手に思い込みほっとしていました。ところが試験当日、会場入り口に貼られた案内図を見て凍りつきました。受験番号は300番以上あります。よろよろと指定の教室に入り席に着きました。席は1番後ろでした。前方を眺めながらこの人たちを全部なぎ倒さないと受からないと思うと、もう笑うしかありません。こうなったら受験を楽しもうと開き直ったのです。
 それが功を奏したのか、数学の問題が思いのほか解けて合格したのでした。入学式の日は桜が満開でした。クラスメートはなんと全国から集まっていました。もちろん私は1番年上です。張り切りすぎて体調を崩すこともあったけれど、授業も実習も国家試験も何とかやり切りました。それまでふわふわと生きてきた私でしたが、大きな自信につながった3年間となったのです。
(作業療法士)

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まちかどエッセー

 仙台・宮城在住の執筆者が、それぞれの活動や暮らしで感じたことをつづります。


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