「原発漂流」第6部 揺れる司法(2)形骸/安全神話 判例生かせず

1976年の裁判官会同の記録。伊方判例は原発裁判の良くも悪くも前提となった

 「今後の基準になる判決を書いたつもりです」
 2007年3月、在日英国大使館であった日英の法曹交流の立食会。ある男性が歓談中、かつて自らが関わった最高裁判決を振り返った。言葉を交わした弁護士海渡雄一(65)=第二東京弁護士会=は相手の照れ笑いから相当な苦労があったのだと感じた。
 男性は最高裁事務総局幹部の高橋利文(当時、故人)。四国電力伊方原発(愛媛県)の設置許可取り消し請求訴訟の上告審で、最高裁判事を補佐する調査官を務めた。海渡は1980年代から原発裁判に関わり、東京電力福島第1原発事故後は脱原発弁護団全国連絡会の共同代表に就いた。
 高橋が裏方として支えた92年の最高裁判決(伊方判例)は、国を被告とする原発訴訟で判断の枠組みを初めて示した。
 裁判所は国の安全審査の基準や判断過程に見過ごせない誤りや不足がないかどうかを「現在の科学技術水準」で調べる。全ての証拠資料を持つ国に主張と立証を求め、それができなければ違法な審査と判断する-という枠組みだ。
 裁判所が審査に重大な欠陥を認めれば、事故が起きるかどうかに関係なく原発の設置許可を取り消す。高橋は判例解説書で「同種訴訟はもとより『科学裁判』の重要な先例になる」と自負した。

 原告住民らの敗訴を確定させた伊方判例は「国策追従」と批判されたが、海渡は「今後に生かせる内容だ」と肯定的に捉え直した。それまでは裁判所の判断手法が定まりきらず、海渡ら弁護士も訴訟戦略の焦点を絞れずにいたためだ。
 「科学論争は裁判所の審理になじむか」「高度の技術的要素を含む行政行為を司法はどこまで判断できるのか」。76年10月の裁判官会同の記録には、原発裁判を担う各地の裁判官らが審理での戸惑いを吐露した発言が残っている。
 司法が事業者の申請の可否を判断する疑似審査のようなことをすれば行政の裁量を侵しかねない。一方で裁判所は判決を出さなければならない。伊方判例は、司法の立場で可能な限り原子力行政を監視するため編み出されたツールだった。

 苦心の末に構築された枠組みは、ほどなく形骸化した。94年、東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)運転差し止め請求訴訟の判決で仙台地裁は請求を棄却。00年に最高裁で住民側敗訴が確定した。
 「当時は福島のような事故が起きるとは考えもしなかった」。一審裁判長の元判事塚原朋一(75)が振り返る。
 伊方判例に沿い、塚原は被告の東北電に安全審査の内容を詳細に説明するよう求めた。しかし、それは証拠集めに苦労していた原告住民側への配慮だった。判決に至る心証は早い段階で固まっていたという。
 その後も裁判所は安全審査の経過を確認すれば基本的に足りると考え、国や電力会社の言い分を認める判決や決定を出し続けた。判断の枠組みに、安全か危険かの実質面を肉付けすることはほとんどなかった。
 「結局は裁判所も安全神話に陥っていたんだと思う」。多くの原発訴訟で苦汁をなめてきた海渡は、伊方判例が十分に生かされなかったことを残念がる。(敬称略)

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