「原発漂流」第6部 揺れる司法(4)曲解/裁判リスク 対策鈍らす

「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故現場。事故を境に日本の原子力政策は歯車が狂い始めた=1995年12月

 原発裁判で初の住民側勝訴の判決が、国策の土台を揺るがした。

 2003年1月、名古屋高裁金沢支部は核燃料サイクル開発機構(当時)の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)=16年廃炉決定=の設置許可を無効とする控訴審判決を言い渡した。

 もんじゅは核燃料サイクル政策の要。一審福井地裁判決は住民側の訴えを一蹴していただけに、関係者は逆転敗訴に衝撃を受けた。

 「地元や社会と向き合う努力が足りなかった」。後にもんじゅ所長を務めた機構幹部の向(むかい)和夫(73)=当時=は、自戒を込めて判決書を読んだ。

 機構の前身、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)時代に起きたナトリウム漏れ事故(1995年)が尾を引いていた。支部はもんじゅについて重大事故へと発展する危険性が複数あると、四国電力伊方原発(愛媛県)訴訟の最高裁判決(伊方判例、92年)に倣って認定。国の安全審査の不備を「誠に無責任」と批判した。

 旧動燃は国策遂行の技術者集団を自負し、向はナトリウム漏れを「単純ミスと考えていた」。敗訴は慢心が招いた結果でもあった。

 2年後、最高裁が高裁判決を破棄し、提訴から20年を経て国側勝訴が確定した。控訴審の事実認定を原則的に踏襲するはずの上告審が、判断をことごとく覆す異例の結末だった。

 勝敗が入れ替わり混乱が長引いた訴訟で、国と事業者は「教訓」を得た。起きる可能性が低い原発の事故リスクよりも、負ければ稼働の即停止にもつながる「裁判リスク」への対策が死活問題になるとの認識だ。

 「安全性が不十分との主張に発展しやすく、訴訟に与える影響が大きい」。電気事業連合会(電事連)は04年、原発の耐震設計指針の刷新を検討していた原子力安全委員会(当時)に意見を出した。規制強化への露骨なけん制だった。

 規制のもう一つのとりで、原子力安全・保安院(当時)も同調した。安全審査の適否を「現在の科学技術水準」で判断するとした伊方判例に従えば、新知見を積極的に取り込んだ指針では審査への要求レベルが高まる可能性があった。

 06年改定の指針は内容が強化されたが、原発を指針にどのように合わせるかは事業者の自主性に委ねるとされた。電事連と保安院も受け入れられる内容だった。

 「裁判を恐れて『事故は起こらない』と言い続けた事業者と当局のゆがんだ蜜月関係が福島の惨事を招いた」。東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員を務めた弁護士野村修也(58)は指摘する。

 その反省に立つ原子力規制委員会の新規制基準は、最新の安全知見の導入を法的に義務付ける。政府が「世界一厳しい」とうたう理由の一つだが、司法の視点は若干異なる。

 関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の設置変更許可を取り消した20年12月の大阪地裁判決は、耐震性に関わる規制委の検討が不十分だと判断。審査手法を実質的に否定した。

 「解釈の掛け違いだ」。規制委員長の更田豊志(63)は記者会見で判決への反論を繰り返し、「(審査に)一つも過誤はないし欠落もない」として司法による曲解を主張する。(敬称略)

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 史上最悪級の原発事故の発生から2021年3月で丸10年。原子力事業や原発政策の何が変わり、何が変わらないのか。教訓は生かされているのか。改めて検証する。


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