「原発漂流」第7部 分断を超えて(下)熟慮/合意の探求 対話の先に

対話の在り方を付箋に書いて話し合う高校生ら=2015年、福島高(わかりやすいプロジェクト提供)

 原発の所長が反対住民らに賛辞を贈った。

 「あなたたちのおかげで助かった。ありがとう」

 2011年5月14日、東日本大震災の爪痕が残る東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)を視察した高野博女川町議(77)=当時=は、渡部孝男所長(68)=同=の言葉を今もはっきりと覚えている。

 女川3号機の着工(1996年)前、高野さんらは原発専用港の水深に余裕を持たすよう再三指摘した。一般的に水深が浅い場所では津波が高くなるとされる上、引き波で原子炉冷却水を取水できなくなることを懸念したためだ。

 東北電は1997、98年度に専用港を約12万立方メートルしゅんせつ。水深は6・5メートルから10・5メートルになった。震災で女川原発は海抜13・8メートルの敷地に高さ13メートルの津波が襲ったが、大惨事は免れた。

 地元で高野さんは「反原発」で知られる。取材に東北電は「(原発)慎重派の意見を踏まえたしゅんせつ工事ではない」と説明。渡部氏は同社広報を通じ「10年前の話。詳細を振り返るのは難しい」と答えた。

 原発の推進側が反対側の意見を採り入れることは、恥ずべきことではない。むしろ、賛否の立場を超えようとする取り組みが少しずつ出始めている。

 新潟県で03年に発足した「柏崎刈羽原発の透明性を確保する地域の会」は、東京電力の原発が立つ柏崎市と刈羽村の賛成、反対、中間各派の住民や団体で構成。東電と国、県、市村はオブザーバーとして住民らの疑問や質問に答える。

 「ゼロか百か」の極端な議論を禁じ、互いに歩み寄りの余地がないかどうか考える。「参加者は相手をねじ伏せる必要がないことを学ぶ。皆の納得を求めることが大事」。初代会長を務めた新野良子さん(70)が言う。

 東電福島第1原発事故の影響が続く福島県。国会事故調査委員会で調査統括補佐を務めた石橋哲東京理大大学院教授(56)の指導で、県内の高校生らが事故の教訓を考える活動「わかりやすいプロジェクト」を続ける。15年3月には、首都圏の高校生と共同コメントを出した。

 「私たちは泳ぐことを諦め、ただ流されるままの魚のようになりたくありません」。原発事故を防げなかった大人たちへの痛烈な言葉は、問題を先送りせず原因の本質を直視し、多様な人が解決に向けて話し合う社会を目指す宣言だった。

 福島高で活動を見守ってきた高橋洋充教諭(50)は「生徒たちが学んだのは自分ごととして自らの頭で考え、対話することの必要性だ」と説明する。

 

 ドイツ出身の政治哲学者アーレントは原発黎明(れいめい)期の1960年代初め、原子力を巡る議論で得るべき結論は「合意の妥当性に近い」と著作で記した。黒白をつけるのではなく、立場を超えて同意できる原子力の在り方を探るよう促した。

 安全神話、規制と推進の未分離、原発存置を願う地域経済-。さまざまな条件が重なった末に起きた未曽有の事故から、私たちは何を学んだだろうか。

 政府の「前面に立つ」は掛け声倒れになっていないか。東電をはじめとする事業者は原発を動かす資格を回復したのか。私たちも自分に好都合な、好きな話だけをしたり信じたりして思考停止していなかったか。

 原発推進、反対の双方が妥協や譲歩を否定せず、真剣に合意点を見いだそうとする努力。それを絵空事と思う限り、双方は再び後退と失敗を繰り返すだろう。

 10年前の福島から始まった原発事業と原子力政策の漂流。有権者であり電力消費者でもある私たちが針路のかじを取る。こぎ出す現在はたそがれ時か、夜明け前か。私たちの熟慮と覚悟が、それを決める。

 連載「原発漂流」は今回で終了します。
(取材班=若林雅人、勅使河原奨治、横山勲)

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