<まちかどエッセー・深沢昌夫>気になる言葉「雲が取れる」

深沢昌夫[ふかさわ・まさお]さん 1963年盛岡市生まれ。東北大大学院博士課程中退。98年度歌舞伎学会奨励賞受賞。宮城学院女子大教授。同大学芸学部日本文学科長。専門は古典文学と芸能。著書に『現代に生きる近松-戦後 60年の軌跡』など。仙台市青葉区在住。

 気になる言葉がある。毎朝ニュースを見ていると必ず天気予報のコーナーがある。すると気象予報士が「今日は昼頃から雲が取れるでしょう」などという。言いたいことは分かる。分かるけれども違和感がある。最近の雲はもしかしてシミとかごみとかシールみたいに空に貼り付いているのか。いや、そんなわけはありませんね。
 ちょっと不思議な言い方だなあと思って、いつごろから使われ始めたのか調べてみると、少なくとも5、6年ほど前からネット上でそうした違和が表明されていることが分かる。気象現象としての雲が発生する方はさまざまな言い方がある。「雲が湧く」「雲がかかる」「雲が広がる」「雲が厚くなる」。あるいはそのものズバリ「曇る」。ではその反対は? そう、「晴れる」である。「霧が晴れる」という言い方もあるので「雲が晴れる」でもおかしくはなさそうだが、これも若干引っかかる。ここはごく普通に「今日は昼頃から晴れるでしょう」「晴れ間が広がるでしょう」で十分なのではなかろうか。
 「雲が取れる」は気象予報士の業界用語だという説がある。仮にそうだとしても、まだ一般にはなじみのない言い方だろう。言葉一つにも来歴があり、特に雲とか雨といった言葉は一時のはやり廃りとは無縁な基本語彙(ごい)なので、その意味やイメージを変えるのはなかなか容易なことではない。
 ふと百人一首でおなじみの<天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ>(僧正遍照)という歌を思い出した。「雲の通ひ路」とは天女が天上と地上を行き来する通り道、あるいは雲の行き交う空の道のことだが、古人が空に「道」を想像したのは雲が一つところにとどまらず、自在に形を変え、風に乗って流れていくからだろう。あるいは「行雲流水」といえば、風の吹くまま気の向くまま、流れに身を任せてあれこれ物事に執着しないという意味である。なるほど、あまり物事にこだわってはいけないということか。雲を「取る」「取らない」であれこれ言っているのも人間のちっぽけなさかしらであって、悠々と空を渡って行く雲はきっと「そんなこと気にするなよ」というのだろうな。でも、人間というやつは、なかなかそれができない生き物なのでありまして。
(宮城学院女子大教授)

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まちかどエッセー

 仙台・宮城在住の執筆者が、それぞれの活動や暮らしで感じたことをつづります。

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