田中邦衛さん、馬見ケ崎川で芋煮会も 山形に足跡残す

 2日に訃報が届いた俳優の田中邦衛さんは、代表作のテレビドラマ「北の国から」の舞台となった北海道だけでなく、山形にも縁がありました。1998〜2014年、県内を中心に約30回、トークショーなどに出演しました。全てのトークショーで司会を務め、邦衛さんを父のように慕ってきた山形市の映画パーソナリティー荒井幸博さん(63)に話を聞きました。

芋煮会で歌を歌う田中さん(左)と荒井さん=2004年10月17日、山形市の馬見ケ崎川河川敷

 ―満開の桜がきれいです。霞城公園(山形市)は思い出の場所なんですね
 「花見して、キャッチボールもしたんだよね。邦衛さんは野球部だったから、当時70を過ぎてたけど伸びのある球を投げてたよ。懐かしいね。秋には市内の馬見ケ崎川河川敷で芋煮会もしたよ」

 ―周りの人はびっくりしたのでは
 「本物の田中邦衛がいるとは誰も思わないから(本人は)悠々としていたよ。すごく溶け込んでいたし、素をさらけ出していた」

 「街中で気付かれた時には、つかつかと大股で歩み寄って『ちょっとお願いがあるんですけどー、握手してほしいんですけどー』と自分から話し掛けて、相手を驚かせることをよくやっていた」

天童でのトークショーから始まった縁

 ―交流はどのように始まりましたか
 「98年5月、山形県天童市の男性から『地区の子供会育成会の発足を記念して、邦衛さんに講演してもらいたい』という電話がありました。私はその2年前に映画撮影現場の見学の際に一度会ったことがあるだけ。芝居から離れた講演やトークショーの仕事は受けないとも聞いていました」

 「『北の国からを見て子育てしたんだから(邦衛さんが演じた黒板)五郎さんじゃないと』と食い下がる男性の熱意に負けました。邦衛さんの主演映画『若者たち』を山形市で再上映する活動でやりとりがあった事務所関係者に連絡を取りました。最初は『行かないよ! 邦さん、東京でもやらないのに、なんで山形なんかに』と冷たくあしらわれましたが、数日後『邦さん、行くってよ! びっくりして、事務所中、大騒ぎだよ』と連絡が入りました」

 「後日、理由を聞いたら、邦衛さんは『蛍(娘役)を嫁がせて、北の国からも終わりが見えてきた。奥さんと国内旅行でもしようかと話していたところだった』と話していました。奇跡のようなタイミングでしたね」

トークショーに出演する田中さん(右)。左は荒井さん=2003年6月27日、米沢市民文化会館

 ―トークショーは98年11月8日、山形県天童市成生(なりう)小学校体育館で開催されました
 「北の国からの主題歌に合わせて登場した邦衛さんは観衆の握手攻めに丁寧に応じ、ステージに到着するまでに5分以上も掛かりました。それほどまで人気があることに自覚がなかったようでした。周りにいる人を楽しませたい、喜ばせたいという性格なので、それ以来、呼べば応えてくれるようになりました」

 「08年のショーでは、黒板五郎の遺言をとつとつと朗読してくれました。(脚本家)倉本聡さんが書いた言葉だけど、邦衛さんの体を通して五郎さんの言葉になり、お年寄りから若い人まで会場全員が号泣していました。改めて偉大さに気付かされました」

助手席から山形の街並みを眺める

 ―プライベートでも山形にしばしば来ていたそうですね
 「邦衛さんは温泉が好きなので、米沢市の小野川、村山市の湯舟沢など県内の温泉地はほぼ全て制覇しました。私が車を運転すると、必ず助手席に座っていました。街並みを見たい、覚えたいということでした」

 「普通のトマトやキュウリを『おいしいねえ、おいしいねえ。東京じゃ食えないよ』と喜んでくれました。何にもないただの田舎だと思っていたのですが、邦衛さんが故郷の良さを気付かせてくれて、誇れるようになりました」

 ―役者としてのすごみはどこで感じましたか
 「邦衛さんと出会って初めて、下戸だと知りました。目が据わり、当たり散らす、酔っぱらいの演技はすごい。酒を飲まなくても、本当に酔っぱらえるんだと驚きました。人情味のある役も、癖の強い小ずるい役も、全て邦衛さんになるんですよね。誰にもまねできない役作りだと思います」

 「邦衛さんはすごい数の作品に出演しているけど『そんなの出てたっけ?』と覚えていないこともよくありました。全身全霊で取り組んで、あとはすぱっと切り替えているんでしょうね」

レストランで食事後、「満腹の舞」を舞っておどける田中さん(右)と荒井さん=2007年9月17日、山形市

老後に住みたいのは「山形」と

 ―人としての魅力は
 「知れば知るほど心がきれいで心が広かった。誰かを否定することは絶対になかった。それに引き換え、自分はなんてさもしいんだと思い知らされましたね。邦衛さんに会って、浄化される。それの繰り返しでした」

 「駄目だなという人を察知する達人でもありました。偉ぶった態度の人には、知らんぷりしていましたよ。『荒井さんと一緒でないと旅番組に出ない』と言って、てこでも動かない部分もありましたね」

 ―山形の人たちが邦衛さんを愛し、邦衛さんも山形を愛していたようです
 「最初の講演から2年ほどたったある日、邦衛さんの奥さんから電話でこう切り出されました。『邦さんに老後はどこに住みたいって聞いたら、どこって答えたと思う?』。口ぶりから何となく察しが付いたのですが、富良野や邦衛さんの故郷・岐阜県土岐市と答えると『違うわ。山形って言ったのよ』とうれしそうに教えてくれました」

 「邦衛さんは山形新幹線で、峠駅(米沢市)付近に差し掛かると、いつも種田山頭火の句『かすんでかさなって山がふるさと』を口ずさんでいたそうです。つまり山形を古里のように思ってくれていたということ。それを聞いて、私はうれしくて、うれしくて」

別れを惜しむように咲いた山形の桜

田中さんと花見をした霞城公園で思い出を語る荒井さん=2021年4月6日

 ―最後に会ったのは14年11月でした
 「長年遠くに暮らしていた娘さん2人が近くに移り住んだことをきっかけに、邦衛さんが山形に足を運ばれることがなくなりました。いつか、こんな日が来ると覚悟はしていましたが、実感は湧かないですね。信じられません。邦衛さんと約16年間を過ごせた自分は幸せ者です」

 訃報が流れた2日、山形市ではこれまでで最も早く桜の開花が宣言されました。

[田中 邦衛(たなか・くにえ)]1932年、岐阜県土岐市生まれ。55年に3度目の受験で俳優座養成所入り。58年、初舞台「幽霊はここにいる」で主役に。61年からの「若大将」シリーズで主役の加山雄三さんと張り合う青大将役を演じ一躍人気を集めた。「網走番外地」「仁義なき戦い」シリーズなど多くの作品に出演。81年ドラマ「北の国から」で演じた黒板五郎が当たり役となった。99年紫綬褒章。2006年旭日小綬章。3月24日、老衰のため死去。88歳。

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