3月24日に88歳で死去した俳優田中邦衛さんのゆかりの地と言えば、主演ドラマ「北の国から」の舞台となった北海道富良野市のイメージが強いが、山形県とも深いつながりがあった。20年以上前から県内でのトークショーに何度も出演し、プライベートでも毎年3、4回、温泉などを訪れ、地元の人たちと触れ合ってきた。山形を愛した名優との別れに、親交の深かった人から「まだ信じられない」と惜しむ声が上がった。
きっかけは1998年、天童市成(なり)生(う)地区の子供会育成会の発足を記念したトークショーへの出演。それまで田中さんは、講演など芝居から離れた仕事は引き受けていなかったが、主演映画「若者たち」の再上映に尽力した山形市の映画パーソナリティー荒井幸博さん(63)らの熱意が届いた。
以来、荒井さんが聞き手を務めることを条件に、県内各地や仙台市でトークショーを重ねた。
「蛍、いつでも富良野に帰ってこいよー」「金なんか望むな。幸せだけを見ろ」。「北の国から」で演じた主人公黒板五郎の名ぜりふをとつとつと朗読し、観客の心を揺さぶった。
仕事の合間には、田中さん夫婦は荒井さんと3人で米沢市の小野川、村山市の湯舟沢といった温泉地をほぼ全て巡った。
春は山形市の霞城公園で花見を、秋には同市の馬見ケ崎川河川敷で芋煮会を楽しんだ。陽気に歌ったり踊ったり。素の自分を出せる場所でもあったようだ。
荒井さんは「普通のトマトやキュウリを『おいしいねえ。東京じゃ食えないよ』と喜んでいた。何にもないただの田舎だと思っていたが、故郷の良さを気付かせてくれて、誇れるようになった」と感謝する。
静養に入った2014年までの16年間、山形との交流は続いた。田中さんは山形新幹線に乗って峠駅(米沢市)付近に差し掛かると、種田山頭火の句「かすんでかさなって山がふるさと」をいつも口ずさんでいた。
引退後は山形に住みたいと語ったこともあったという。田中さんを父のように慕っていた荒井さんは「人のことを悪く言うことが一切なく、ただ周りの人を楽しませてくれて、心のきれいな人だった。いつかは、と覚悟していたが、まだ信じられない」と悼んだ。
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