被災サーファー物語(1) 理想郷思い 通う日々

ローカルポイントの「鳥の海」で波の状態を確認する越後さん=3月11日、亘理町

<パイオニア>(上)流失 宮城県亘理町・越後一雄さん(74)

 東日本大震災発生からちょうど10年の3月11日朝、宮城県亘理町荒浜地区。阿武隈川河口の南岸にあるサーフポイント「鳥の海」で、町内に暮らす越後一雄さん(74)が太平洋の波を見つめていた。震災命日だから浜に来たわけではない。堤防から波の状態を確認する普段通りの朝の日課だ。

業界の重鎮

 「特別な思いはないなぁ。でも早かったね、この10年。今朝の波は小さいけど悪くもない。今から(海に)入るよ」

 愛車の軽トラックの脇でウエットスーツに着替え、水上スポーツ「スタンドアップパドルボード(SUP=サップ)」を担いで砂浜に下りると、沖に向かってさっそうとこぎ出した。

 東京五輪で正式競技になるほどサーフィンは認知度が高まった。仙台市出身の越後さんは、地元にサーファーが数えるほどしかいなかった1960年代半ばに競技を始めたパイオニアだ。ロングボードの元プロで、日本サーフィン連盟理事を務めた業界の重鎮。日焼けした健康的な顔つきと軽い身のこなしが、古希を過ぎた年齢を感じさせない。

 震災がなければ、越後さんは毎朝、車でポイントに通い続ける必要もなかった。堤防沿いに整備された高台の駐車場の下手、約330平方メートルの更地にはかつて、平屋の自宅兼サーフショップ「ベアフットサーフ」があった。大津波が一瞬にしてさらっていった。

跡地に看板

 ビーチまで歩いて1分足らずの越後さんの「ついのすみか」は、サーファーなら誰もが憧れる場所だった。間近に朝日を望み、波を確認し続けた日々。磯の香りを乗せてそよぐ風。響く波音…。長年探し回った末に見つけ出し、大震災までの二十数年間、家族4人が暮らした理想郷だった。

 「ローンを払い終わったばかりで、さぁこれからって時だった」。一家は全員無事だったが、「全て流され、絶望、だよね。一体これからどうやって暮らしていけばいいのかって…」。

 あの日から10年。越後さんは現在、サーフポイントからほど近い町内の災害公営住宅で家族と暮らす。

 「いろんな思いはあるけれど、振り返っても元には戻れない。だから前を見て、これからも海に通い続ける。思いもよらない経験だったけれど海を嫌いにはなれない。だって俺、根っからのサーファーだからね」

 自宅跡地には、今も「ベアフットサーフ」の看板が立つ。越後さんは毎朝通い続けている。

 震災発生から10年。被災沿岸部では、穏やかな海原が地平線の向こうまで広がる。多数の人命と暮らしを奪い、人々の価値観を大きく揺るがした大津波が幻のようだ。災禍を乗り越え、海をフィールドに厳しい現実と闘うサーファーたちがいる。還暦を過ぎてなお現役のレジェンド3人を紹介する。(相原研也)=6回続き

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