被災サーファー物語(5) 新たな生きがい、奮起

名取川河口付近で仲間とSUPを楽しむ白土さん(中央)

ベテラン(上)自失 福島県富岡町・白土栄一さん(72)

 白土栄一さん(72)は20歳の時、初めてサーフボードを手にし、その瞬間から魅力に取りつかれた。日本のサーフィン草創期だった1960年代の後半のことだ。以来、半世紀以上たった今もビーチ通いは続いている。だが長い人生の中で2度、海から遠ざかったつらい時期があった。

二つの悲劇

 福島県富岡町で生まれ育った。地元サーフィン界の先駆者で、83年にはサーフボード製造会社「サーフサイドスポーツ」を町内で創業。ショッピングセンターの運営を手掛けるなど実業家としても着実な歩みを見せていた。
 2008年夏、公私ともに親交が深かった南相馬市のサーファー仲間を失った。サーフィン中の思いも寄らない事故死。年齢も近く、弟のような存在だっただけに悲しみは大きかった。
 悲しみが癒えない11年、東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故が発生。原発から7キロの距離にある自宅に戻れなくなった。住まいを引き払い、社員60人を抱えていた会社も畳み、故郷を追われた。妻博子さん(56)の出身地仙台市で避難生活を強いられた。
 二つの悲劇が白土さんを海から遠ざけた。「毎朝通うほどあんなに好きだったのに、行けなかった。とにかく、体が受け付けなかった」と振り返る。精神的ダメージは大きかった。
 「絶望と挫折。これからどうやって生きていこうかという希望が全く見えず、自殺さえ考えた時もあった」と振り返る。精神的に追い込まれていたある日、キャンピングカーから降りようとした際、足を踏み外してしまった。これを機に突然、歩けなくなった。再び歩けるようになるまで1年近く車いす生活を送った。

水に導かれ

 震災翌年の12年夏。「海に沈む夕日を見たい」と思い立ち、博子さんと義母の3人で秋田県男鹿半島を訪れた。静かに揺れる海面を太陽が赤く染める情景に心が揺れた。
 導かれるように、震災後初めて海に入ってみた。水中での浮遊感が懐かしく、心地良い解放感が広がった。「あぁ、やっぱり俺には海が必要なんだって思った。自分を見失っていたんだな」と思い返す。
 翌日、自己を取り戻した白土さんは、宮城県七ケ浜町のビーチに立っていた。震災前に始めていたマリンスポーツ「スタンドアップパドルボード(SUP)」を浮かべて大海原で戯れる日々を再開した。
 当時東北での愛好者が少なかった新スポーツの普及が、白土さんの新しい生きがいになった。

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