「あの日から」第11部 公務員(4) 仙台・柳谷理紗さん 現場の教訓 次につなぐ

職員の震災体験集を手に有志の活動を振り返る柳谷さん=3月20日、仙台市青葉区

 聞き取りはいつも「問わず語り」の形。口を挟まず、相づちだけを打ち、ひたすら相手の話に耳を傾ける。

 仙台市職員有志の自主勉強会「Team Sendai(チーム仙台)」に所属する柳谷理紗さん(35)は、東日本大震災の対応に当たった市職員の体験を仲間と共に記録している。

 避難所で奮闘した保健師、遺体安置所やがれき置き場を任された職員、初動対応を指揮した市幹部…。これまで80人余りにヒアリングし、そのほとんどに立ち会った。

 「当時を語り始めると、みんな止まらなくなるんです」。聞き取りは毎回2時間を優に超えるが、長いと感じたことは一度もない。

 ∧避難所の勤務でよかった。生きている人の力になれるから∨
 ∧「あとは現場で判断してください」。その言葉の重みを痛感した∨
 語られる震災直後の体験は詳細で生々しく、当時の過酷な現場がリアルに浮かぶ。災害記録誌にはあまり載らない職員の心の内や苦悩、失敗談も含まれる。

 「生きた教訓と言われるもの。次の災害で役立つよう未来へ残さなくてはいけない」と意を強くする。

 活動は「災害エスノグラフィー調査」と呼ばれる。災害時は何が起きるのか、現場に居合わせなかった人が記録を基に追体験し、教訓を共有することが目的。1995年の阪神大震災以降、各地に広がった。

 調査は小さな活動から始まった。2011年11月、チーム仙台が集まり、近況や激動の日々を語り合ったことが発端となった。

 「他の部署の出来事を全く知らない」「次の災害に生かせる話が結構ある」。そう気付いたのは自分だけでなかった。「体験を記録に残そう」。有志6人で震災記録チームをつくり、12年1月から取り掛かった。

 業務時間外や休暇を使ってヒアリングを重ねた。録音を文字に起こし、時系列に整理した。精神的に疲弊したが、体験を聞いてしまうと「この事実をなかったことにはできない」との思いに駆られた。

 埋火葬の給付金担当だった職員の体験が印象深い。「津波で家族全員を亡くした中学生が1人残され、どうすればいいか」と町内会から相談があった。国が予算措置する前だったが、葬儀会社に火葬を頼んだ。

 「公務員としては対応を悩む場面だが、自分も同じことをしただろう。災害時はマニュアルにない判断を迫られることがある」と教訓をかみしめる。

 記録チームの活動は17年に転機が訪れた。エスノグラフィー調査が東北大、常葉(とこは)大(静岡県)との共同研究に発展。翌18年に仙台市が加わり、有志の取り組みは市の事業に変わった。

 柳谷さんは防災環境都市・震災復興室の職員として共同研究に参加。証言の編集や職員間の伝承プログラム検討なども担った。

 「職員の体験は背後にある市民の記録。震災発生から10年がたち、後世に残す意義をより強く感じる」。記録は朗読などにより伝承に活用されている。

 共同研究は21年3月に終了。柳谷さんも今月、別の部署に異動した。職員の体験記録は一区切りを迎えたが「この先は幅広い市民の体験を聞き取って、震災を複層的に捉えてみたい」と次の活動を見据える。(長谷美龍蔵)

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