<東日本大震災の発生時は仙台市内の小学6年生だった。AKB48の最終オーディションが2日後に迫っていた>
諦めろと神様に言われていると思った。家も家族もこんな状態で、自分だけ東京に行って温かい布団で寝て、普通にご飯を食べて仕事するなんて考えられなかった。AKBは誰もが知るアイドルだった。私が入って、メンバーを連れて来られたらみんなを元気づけられるかもしれないと思い直した。4月に延期された最終審査を受け、合格した。
(シングルCDに付く投票権などを使ったファン投票で次の曲を歌う当選者を決める)選抜総選挙に初めて参加した時だった。「せっかく宮城からメンバーに入ってくれたのに、CDショップが全部流されて買えない。投票できずごめんなさい」。被災したファンからのメッセージだった。
私はこんなことを古里の人たちに言わせるためにアイドルになったんじゃない。「ランクインしたい」とは言えなかった。
<AKBのプロジェクトで被災地を数多く訪れた>
2014年11月、常磐自動車道の開通を祝うウオーキングイベントが宮城県山元町であり、メンバーと参加した。震災でレスキュー隊に助けられたという小学生の女の子と歩いた。「別の夢があったけど、今は薬剤師になりたい。私も誰かの命を救いたいから」と話してくれた。
震災で夢を諦めた人もいるかもしれない。でも、震災で夢が変わった人もいる。古里がなくなるかもしれないつらい経験をした子どもたちはとても強く、古里に愛情がある。自分よりも幼い女の子に教わった。
<17年度から3年間、宮城県の復興支援サイトで被災地の今を写真で伝えてきた>
AKB卒業を決めた頃だった。言葉で伝えることがあまり得意じゃない自分が、古里、被災地に寄り添う方法は何か。思い付いたのが写真で、それから撮影の勉強を始めた。被災地を訪れるたびに感じたのは、笑顔が明らかに増えたこと。これが復興なのかなと思っている。
<震災から10年が過ぎ、アイドルから俳優に活動の軸足が移った>
古里の友達よりも自分の夢を選んだことに負い目があった。だから、何も結果を出さずに戻れないという覚悟ができ、AKBを精いっぱい頑張れた。一番好きなお芝居の仕事が今できるのは、古里の存在があったからだ。
今年2月13日に東北で大きな地震があった。災害は絶対にまた来る。東日本大震災と同規模の地震が来た時、同じ事にはなりたくない。
これから10年たてば、「東日本大震災って何」という子どもが東北にも多くなる。同じ目線で伝えられるのは多分、私たちの世代だと思う。「津波てんでんこ」。まず自分の命を守る。私が生涯を終えるまで、ずっと語り継いでいきたい。
(聞き手は門田一徳)
[いわた・かれん]1998年、仙台市生まれ。2011年、AKB48オーディションに合格。アイドル活動と並行して震災復興支援の取り組みに従事。16年のAKB卒業後は主に俳優として活動。宮城県みやぎ絆大使、栗原市ドリームアンバサダー。
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