<東日本大震災時、気仙沼市のリアス・アーク美術館副館長だった。発生から1週間ほどして、記録のためにがれきで埋め尽くされた被災地を歩き始めた>
人の関わりがない風景を撮影しているうちに、心がどんどんなえていった。人も物も消えた漁村で、再び研究をできるのだろうかと。
立ち上がるつえを得たのは3月末になってからだった。海に向かってお茶とお菓子が供えられていたのを見た時、何かできそうだと感じた。見えないものに対して人がする行為と向き合うのが民俗学。まだやることがあると思った。
<2011年夏、民俗学者山口弥一郎氏(1902~2000年)の著書「津浪(つなみ)と村」を、東京学芸大の石井正己教授と復刊させた>
山口氏は過去の津波被災地の集落移転を調査し、なりわいの成立や民俗的な感情の理解の大切さを訴えた。震災の復興計画が建造物中心になりつつあるという危惧を石井さんと共有し、編集に当たった。
12年春、津波で流された母が見つかった。神奈川大への赴任が決まり、向こうでアパートの契約をしていたさなか、連絡があった。勉強し直そうとしていた私の背中を母が押してくれた。
<13年に東北大災害科学国際研究所に移った頃から、海と住民を切り離すような巨大防潮堤を建設し、漁業を効率だけで捉えようとしていると、行政への違和感を著書などで指摘するようになった。淡々と調査していた震災前と大きく変わった>
研究所に少なかった文系の研究者として、言えることは言おうと思った。震災前から、魚と海難者を同時に供養するといった各地の海辺の行事を調査してきた。自然への謙虚さを忘れず、命を循環させる海の回帰的な力に沿って生きてきたのが漁師たちだった。
<本家・分家の強いつながりや、互助組織である契約講など集落によって違う復興の土台を調査した>
例えば、釜石市唐丹町では漁獲を平等に配分する漁労集団「オオナカ」が震災時に結束した。生活文化を足場にしてしか本当の復興はない。「コミュニティーの再生」と等し並みに言うのは違うと思った。
<18年春、東北大を定年退職。福島県新地町で出会った漁師小野春雄さんの誘いで同町に移住し、現地の漁業民俗を調べている。東京電力福島第1原発事故の影響で試験操業を続けていた漁船の乗組員にもなった>
新地にも「ユイコ」という互助があり、復興の力になっていた。春雄さんは、自分の船の水揚げが終わると、当たり前のように他の船を手伝う。網の修理でも助け合う。社会が受け継いできた支え合いがあって、漁船同士が協業的に行う試験操業がうまくいった。
春雄さんの家にいると、若い頃に漁業民俗の調査で通った気仙沼市小々汐(こごしお)を思い出す。漁労長の家に、大勢の漁師が出入りしていた。その小々汐も被災し、多くの犠牲者が出た。人知ではどうにもならない自然の中で私たちが生きていることを、悲しみの中で再認識したのが震災ではなかったか。
(聞き手は安達孝太郎)
[かわしま・しゅういち]1952年、気仙沼市生まれ。法政大卒。神奈川大特任教授などを経て2013年、東北大災害科学国際研究所教授。18年に定年退職し、現在は同大シニア研究員。20年から現職。近著に「春を待つ海-福島の震災前後の漁業民俗」。
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