「あの日から」第12部 故郷離れて(1) 埼玉・作本信一さん 避難町民の思いつなぐ

旧騎西高に加須市が建てたモニュメント前に立つ作本さん=4月29日

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故でやむを得ず故郷を離れた人たちがいる。帰還がかなわなくても、望郷の念は変わらない。新しい暮らしの中で、古里とのつながりを模索し続ける人々の10年をたどる。

 初めての定例会は、埼玉県加須市に建てた家、いわき市内のホテル、福島県広野町で暮らす次女の家から2日ずつ通った。いわき市内にある議場と加須市の家は200キロ以上離れている。

 加須市に住む作本信一さん(67)は1月の福島県双葉町議選で初当選した。議員8人中、唯一の県外在住者だ。366票。3番目の得票数だった。「半分は県外の人かな」。託された思いの重さをかみしめる。

 双葉町で生まれ育った。電気設備会社に勤めながらコメを作る兼業農家だった。町内の電柱で配電線工事を終えた直後、激しい揺れに襲われた。原発事故で避難指示が出てからも停電の復旧作業に当たった。

 一足先に避難していた家族と合流できたのは約1週間後。町が役場機能を移した加須市の旧騎西高の避難所に身を寄せた。1カ月後、市内にアパートを借りた。同居する孫が学校になじんだこともあり、2014年に家を建てた。

 双葉町は避難指示が出された市町村で唯一、全域で居住ができない状態が続く。4月末現在、2010人が福島県外の41都道府県、3709人が県内の他市町村で生活する。

 加須市では402人が暮らすものの、様相は時間とともに大きく変わった。「高齢者だけの世帯や1人暮らしが増えた。置かれた環境もばらばらだ」。町民同士のつながりが希薄になりつつあるとも感じる。

 「地元への恩返し」との思いで14年4月、自宅があった下条(げじょう)地区の行政区長を引き受けた。同じ頃、地区の一部が除染廃棄物を一時保管する中間貯蔵施設の予定地に入る。行政と住民をつなぐため、福島と行き来する機会が増えた。車の走行距離は年間3万~4万キロに上った。

 立候補は、引退する先輩議員から誘われたのがきっかけだった。

 避難先で、町の情報や施策が住民にうまく伝わっていなかったり、受け入れ自治体によって生活環境に差があったりすると感じていた。原発事故から数年間は加須市で議員を見掛けたが、月日がたつにつれて減ったのも気になっていた。

 当選後、有権者から「県外も県内も同じ町民なんだから頑張れ」と激励された。「みんな古里への断ち切れない思いを持っている。最後まで忘れないでほしいという気持ちなんだ」と受け止める。新型コロナウイルスの感染拡大が収まれば、避難先に出向いて対話を重ねたいと考えている。

 街並みは一変した。自宅は中間貯蔵施設の予定地に入った。22年春の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除と住民の居住開始に向け、町内では先行解除されたJR双葉駅周辺や中野地区などで新たな街の姿が見え始めた。

 避難当初は故郷に戻りたいと願っていたが、現実には難しそうだ。「慣れ親しんだ景色が消えていくのは寂しい」。再生に向けて歩み始めた古里と全国で暮らす避難者をどうつなぐか。思案しながらハンドルを握る日々が続く。
(加藤健太郎)

河北新報のメルマガ登録はこちら
震災10年 あの日から

 東日本大震災を経験した一人一人に、それぞれの震災があり、災後の歩みがある。あの日からの軌跡をたどる。

震災10年 復興再考

震災10年 あの日から

復興の歩み


企画特集

先頭に戻る