一力遼の一碁一会 「竜星戦のエピソード」 攻防紙一重、劇的幕切れ

一力遼の一碁一会

 今回は私の対局「第28期竜星戦」決勝でのエピソードを紹介します。

 2019年9月23日。連覇を目指す私の相手は、17歳の少女でした。

 彼女の名は上野愛咲美(あさみ)さん。戦闘的な棋風から「ハンマー」の異名を持ち、現役のタイトルホルダーを含む数々の強豪を撃破して決勝まで駒を進めました。その快進撃を受けて、通常は収録番組として放映される竜星戦が、準決勝から生中継になったのです。

 全棋士が参加する棋戦での女性の優勝は今までになく、対局場には「女性初のチャンピオン」誕生の瞬間を待つ報道陣が殺到しました。

 午後8時、対局が始まりました。立ち上がりは順調でした。白番を引いた私は序盤から少しずつリードを広げ、100手進んだ時点で人工知能(AI)が示した勝率は白96%。勝ちを意識し始めていました。

 分岐点が訪れたのは中盤。黒が白の大石(たいせき)にプレッシャーをかけてきたのです。白の選択肢は二つ。半分の石を捨てて他の場所で安定を求めるか、全部助けて最強に頑張るか。

 私は後者を選びました。その瞬間、彼女は隠し持っていたハンマーを手に取ったのです。

 白の大石の生死が、そのまま勝負に直結する場面。石は眼を二つ作れば生きることができます。一つは確保したものの、もう一つがなかなか作れない-。

 AIの黒の評価値はどんどん上がります。対局場で誰かが「大事件か」とつぶやく声が聞こえました。依然、白が生きる手段は見つかりません。時間は逼迫(ひっぱく)し、顔は紅潮。手が進むにつれ、黒が少しずつ勝利に近づいていました。

 ハンマーの直撃を受けた白は瀕死(ひんし)の状態です。「歴史が動いた」。誰もがそう確信した瞬間、黒にミスが出ました。黒の評価値は急降下し、勝負の行方は再び分からなくなりました。

 AIの判断も狂うほどの紙一重の攻防の末、ついに白がもう一つの眼を確保し、奇跡的な生還を遂げました。全世界の注目を集めた一戦は、前例のない劇的な生き方で幕を閉じました。

 対局後の彼女に、盤上でハンマーを振り回していた時の面影はありませんでした。自然体で報道陣の質問に答える姿は、開きかけた歴史の扉にもう一度手を伸ばす日が来るのを楽しみにしているかのようでした。(囲碁棋士)

河北新報のメルマガ登録はこちら
一力遼の一碁一会」

企画特集

先頭に戻る