「あの日から」第12部 故郷離れて(4) 盛岡・堀内繁喜さん 特注ワイン宮古の香り

故郷への思いを込めた自作のワインを提供する堀内さん=7日夜、盛岡市の「the S」

 「昨年できたワインです。熟成が進んでおいしくなっていますよ」

 盛岡市菜園のジャズバー「the S」で7日夜、経営者兼店長の堀内繁喜さん(52)がワインをグラスに注いでいた。常連客は芳醇(ほうじゅん)な香りと癖のない甘味を楽しんだ。

 堀内さんは宮古市出身。東日本大震災後、盛岡市に移住した。昼間は市内の別の場所でカフェを営み、休みなく働いている。

 常連客に提供したワインは、宮古市の旧新里村地域で生産されているヤマブドウ「涼実紫(すずみむらさき)」を使って自ら開発した。故郷と結び付いていたいという強い思いで実現させた自信作だ。

 農家からヤマブドウを買い取り、岩手県葛巻町の第三セクター「岩手くずまきワイン」に委託して2013年から毎年造っている。

 宮古市中心部で営んでいたジャズバーと同市津軽石地区の自宅は、震災の津波でいずれも浸水被害に遭った。思い入れのあるスピーカーやピアノ、レコードが泥水に漬かった。「人生を失った気がした」と言うほど大きな喪失感に襲われた。

 妻と小学生の息子2人を親戚の家に預け、店の2階に寝泊まりしながら片付けを続ける日々。幸運にもすぐにスピーカーとピアノの修理にめどが立ち、営業再開を目指した。だが、大家との家賃交渉が折り合わず、市内で他の物件を見つけることもできなかった。

 震災2カ月後、息子たちがささいな事でけんかを繰り返すようになった。日に日に激しくなる。「長い居候生活に気疲れし、精神的に参ってしまったのだろう」。人口が多く、知人もいる盛岡市への移住を決断した。

 震災前から宮古産のワインを造りたいと考えていた。糖度と栄養価が非常に高いのに、加工品が少なくて収穫量の約半分が活用できずにいるヤマブドウに目を付けた。だが費用や機材、知識がなく、計画を進められなかった。

 11年8月、盛岡でバーを再開した後もワインへの思いを抱き続けた。「故郷の魅力をアピールできるようなものを造りたい」。友人に協力を請い、開発に取り掛かることができた。

 12年に摘果されたヤマブドウでまず500本分を仕込んだ。木が若いせいか渋味や酸味が強く、実が本来持つ甘味を生かし切れていなかった。

 あれこれ思案したものの、結局は自然が解決してくれた。歳月を重ねるごとに実の味は安定し、ワインの味に深みが増していった。

 19年にはヤマブドウ100%のジュースも発売。人づてに人気が広まり、今では県内外から注文が殺到する。製造本数もワイン600本、ジュース930本に増やした。

 堀内さんは今年、ヤマブドウの栽培に挑戦しようとしている。一定の生産量が確保できたら宮古にワイナリーを構える予定だ。

 「盛岡に移住してたくさんの出会いに恵まれたが、それでも自分のベースは宮古にある。これからも宮古とのつながりを持ち続けたい」。心は今も故郷に残している。
(坂本光)

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