「あの日から」第12部 故郷離れて(5) 南陽・福原三重子さん 浪江を胸に店切り盛り

スナックエルベで接客する福原さん=11日夜、南陽市

 山形県南陽市の「スナックエルベ」の店内で、つまみのメニュー「浪江の太っちょ焼きそば」を紹介する張り紙が目を引く。

 福原三重子さん(68)は東京電力福島第1原発事故を受け、福島県浪江町から市内に避難した。エルベは福原さん、市内に住む長女の嵐田香さん(42)が中心となって切り盛りする。

 年に数回、福原さん親子との和やかな会話を楽しみに、福島県内からなじみの客が足を運ぶ。東日本大震災まで浪江町で営んでいた同名のスナックに通った人の姿もある。

 来店予約が入ると、浪江名物の焼きそばを福島市まで買いに行く。「震災で浪江の人はみんなばらばらになった。浪江を忘れないようメニューに残している」と言う。

 2011年3月11日、浪江町で買い物中に激しい揺れに襲われた。次女の吉田絵美さん(40)らと暮らしていた町内の自宅兼店舗に戻ると、食器類が床に散乱していた。店の売上金を手に、町内の高台にある絵美さんの夫の実家へ逃れた。「いずれは家に帰れるだろう」。当時はそう思った。

 翌朝、町外への避難を呼び掛ける防災無線が聞こえた。福島県葛尾村の親戚を頼り、絵美さんらと車を走らせた。到着後に目にしたのは原子炉建屋の水素爆発を伝える映像だった。「早く逃げなきゃ」。香さんのいる南陽市へ絵美さんらと共に向かい、12日夜から身を寄せた。

 岩手県山田町出身。結婚を機に移った浪江町で37年ほど過ごした。避難で人間関係は失われ、慣れない土地での生活に体調を崩した。「人との触れ合いがなければ張り合いがない」。赤湯温泉街の近くに12年夏、ママとしてエルベを再びオープンさせた。

 福島県内の常連客らと次第に連絡が取れ、地元の客も徐々に増えた。避難先での生活が軌道に乗ると、帰還しようという気持ちは少しずつ薄れていった。「帰りたい気持ちはあった。でも、ほとんど誰も帰っていない町に、自分だけ帰ってもね」

 18年秋、浪江町の自宅兼店舗を取り壊した。20年近く前に夫を亡くし、51歳の時に始めた店だった。敷地が避難区域に入ったこともあって避難後はほぼ戻らなかった。解体時まで家の中は地震直後のまま。棚の引き出しは飛び出ていた。

 浪江町と南陽市で店名に掲げた「エルベ」はイタリア語でハーブを意味する。踏まれても伸びる雑草のような力強いイメージを気に入り、福原さんが選んだ。

 持ち前の強さと明るさは、新型コロナウイルス禍でも店を支える力になっている。18年にママを引き継いだ香さんと二人三脚で客に楽しい時間を提供する。

 「原発を憎んでも、どうにもならないし。前を向いて生きるしかないよね」。浪江の記憶を胸に、これからも笑顔で店に立つつもりだ。
(小田島悠介)

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