「あの日から」第12部 故郷離れて(6完) 弘前・千葉ツヤ子さん 再び気仙沼へ、思い募る

宮本さん(左)に気仙沼での思い出を語る千葉さん=4月22日、サンタハウス弘前

 毎晩、寝る前に目を閉じると、にぎやかだった港町の風景がまぶたに浮かぶ。「ここも居心地はいい。でも、やっぱり…」。月日がたつほど古里への思いは強まる。

 東日本大震災で被災した千葉ツヤ子さん(89)が宮城県気仙沼市から青森県弘前市に居を移して6年がたった。

 岩手県一関市出身。結婚を機に気仙沼に移り住み、震災前に亡くなった夫と共に紳士服店を営んだ。自宅兼店舗は津波で流され、市内の仮設住宅に4年ほど身を寄せた。

 災害公営住宅への入居申請をしようとした矢先、脳梗塞を患い入院した。退院後に入所できる高齢者施設はどこも満杯。被災3県から要介護者を受け入れている弘前市の介護老人保健施設「サンタハウス弘前」に入所した。

 震災後の10年で計195人が施設に入り、今も53人が暮らす。気仙沼からは24人。千葉さんは紳士服店の客だった人たちとも再会した。昔話に花が咲くが、懐かしさと同時に切なさが込み上げる。

 体調は驚くほど回復した。後遺症の右半身まひはほぼなくなり、自分で車いすを動かせるまでになった。要介護度は3から2に改善した。

 皮肉にも、元気になったことで帰郷のハードルが上がった。特別養護老人ホームは要介護度3以上が入所の基本条件。今は老健施設を希望するが気仙沼には4施設(計約500床)しかなく、常に約500人が待機している。

 サンタハウスは2018年から帰郷支援に力を注いでいるが、古里に戻れたのは岩手の9人と福島の4人だけで、宮城はゼロ。被災地では高齢化が加速する一方、マンパワー不足などで施設整備は遅れがちだ。

 「6割の方が、帰郷がかなわないまま最期を迎えてしまっている」。被災自治体側との調整役を担うサンタハウスの広域連携室室長宮本航大さん(42)はやり切れなさを隠せない。

 ただでさえ険しい帰還への道のりに、新型コロナウイルスの感染拡大が影を落とす。

 県境を越えた移動ができず、帰郷に向けた施設関係者との面談や、入所適性を見極める「お試し宿泊」ができなくなった。宮本さんが年間50回ほど行っていた被災3県への訪問も、昨年は5、6回にとどまった。

 新たな支援の方策も見えてきた。大船渡市出身の女性が昨年8月、試験的にリモート方式で古里の施設の面談を受けた。申し込みから1年以上が過ぎていたが、偶然にも空室が出て、とんとん拍子に1カ月後に帰郷を果たした。

 宮本さんは「リモート環境を整える施設や病院が増えて、今までと違う形でやりとりできるようにもなった」と話し、コロナ禍での支援の在り方を探る。

 サンタハウスで今年3月、気仙沼湾をまたぐ三陸沿岸道「気仙沼湾横断橋」の開通が話題になった。「死ぬ前に行ってみたい」。つぶやく千葉さんに宮本さんが語り掛けた。「コロナが落ち着いたら、必ず連れて行きますよ」

 千葉さんが寂しそうにうなずいた。

 帰郷への試みは続く。
(今愛理香)

河北新報のメルマガ登録はこちら
震災10年 あの日から

 東日本大震災を経験した一人一人に、それぞれの震災があり、災後の歩みがある。あの日からの軌跡をたどる。

震災10年 復興再考

震災10年 あの日から

復興の歩み


企画特集

先頭に戻る