「石切山城跡」 は伊達家が築く? 謎の山城を米沢の研究者が調査

石切山城跡で昨年見つかった石積みの井戸

 中世に整備が進んだとされる山形県南陽市の山城跡「石切山城跡」で、謎だった活用の実態を明らかにしようと、米沢市の研究者が現地調査を続けている。戦国時代に造ったとみられる井戸が昨秋見つかり、研究者は山形県置賜地方を当時治めていた伊達家の山城と共通する特徴を指摘。「外敵をけん制する主要な防衛拠点として、伊達家が構えた城の可能性がある」とみる。

 置賜地方は、後に仙台藩祖となる伊達政宗の代まで伊達家が治めた父祖の地だ。石切山城跡から見つかったのは直径約70センチの石積みの井戸。石積みは伊達家の井戸の特徴で、当時の拠点だった米沢市内で既に約40基が確認されている。

 この山城跡からは詳細不明の石垣も複数発見された。最大のものは高さ約2・5メートル、長さ約30メートルに及ぶ。造成者や整備の時期は分からない。

 山形県教委や米沢市教委で長年、埋蔵文化財や中世城館の研究に取り組んだ米沢市の手塚孝さん(67)が昨年11月に調査を始めた。これまで南陽市の調査が入らなかった部分も歩き、井戸を昨年11月に確認し、最大の石垣を今年5月初旬に見つけた。

 石切山城は当時、伊達家領地の北部に位置し、城の東側は南北に延びる主要道「小滝街道」に面していた。手塚さんによると、現在の山形市付近を本拠とした最上家が北から街道伝いに攻めて来た際、迎え撃つために造られた最前線拠点の一つだったと考えられる。

 手塚さんは今後、石垣について分析を重ね、本年度中に一連の調査概要を南陽市に報告する方針だ。政宗の祖父・晴宗の家臣が城主だったとされる宮沢城跡など周囲にある遺跡との関連も調べ、石切山城が果たした役割を探る。

 南陽市社会教育課の担当者は「遺跡の価値が研究者らから認められれば、市民への周知を進め、保存に努めたい」と話す。

新たに見つかった石垣。自然石を積み上げる「野面積み」の手法で造られている=10日、南陽市宮内

[石切山城跡]南陽市が2015年に初めて調査し、山形県により16年に遺跡登録された。範囲は最大で12ヘクタール超だったと考えられている。造成の経緯や目的は現在も不明。伊達家の後に一帯を治めた上杉氏がタカ狩りの際に活用した可能性が、文献から推測されている。

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