つなぐ(1)伝承拠点/建物先行、展示に制約

解説員の説明を聞きながら津波のパネル展示を見る来館者=2021年6月6日、宮城県石巻市のみやぎ東日本大震災津波伝承館

 未曽有の大災害となった東日本大震災は、避難行動から復旧復興まで数多くの反省と教訓をもたらした。南海トラフ巨大地震など「次」の災禍に備え、若い世代や遠く離れた全国各地の人々にどう記憶のバトンをつなぐのか。シリーズ最終部は、被災地が向き合う伝承の課題を考える。

 かつて街だった場所に、39ヘクタールの広大な公園が整備された。ガラス張りの建物はひときわ小さく見える。

 宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園にできた「みやぎ東日本大震災津波伝承館」。6日、新型コロナウイルスで延び延びになっていた開館日を迎えた。

 岩手、宮城、福島3県が運営に携わる震災伝承拠点で最後発の船出。その展示面積は、岩手県陸前高田市にある岩手県施設の3分の2、福島県双葉町にある福島県施設の半分以下にとどまる。

 宮城県南三陸町で語り部活動をする後藤一磨さん(73)が内覧会に訪れ、津波避難を呼び掛けるシアター映像などを眺めた。「展示が少なく、避難以前に津波の恐ろしさを訴えるリアリティーが乏しい」。拠点施設に抱いていた期待は、すぐさま落胆に変わった。

 館内では県内の被災状況や津波の歴史をパネルで紹介するほか、語り部や被災者計約90人の言葉を6台のモニターで伝えている。

 空間が限られるだけに、展示物は絞り込まざるを得ない。近くに震災遺構として整備中の旧門脇小があるとはいえ、被災の生々しさを伝える物や復興過程の紹介はほとんどない。後藤さんは「津波を知らない人に伝わるのか」と不安を募らせる。

 伝承館は国が約10億円で建設し、県は展示物の整備や管理運営を担う。

 国は、祈念公園で式典会場としても使えるようなガラス張りの屋内施設として設計し、そもそも展示施設としての利用を想定していなかった。県も当初、伝承拠点にする計画はなかった。

 県と石巻市との調整が付かないまま、2020年度の完成に向け、国の整備計画が進んだ。計画段階から展示方針を協議した岩手県とは対照的だ。「宮城県に明確なビジョンがなかった」と地元関係者は口をそろえる。

 建物の概要が決まった後、県はリアスアーク美術館(宮城県気仙沼市)の山内宏泰館長(50)らを展示アドバイザーに委嘱した。壁面が少ないなど展示スペースが限られる中、「内装の一部を変えたい」といった提案はことごとく国に退けられた。

 「被災者のためでも、地域の未来のためでもない施設ができてしまったのではないか」。山内さんは自戒を込めて打ち明ける。

 宮城県の担当者は「施設は最大限活用するが、全てを伝え切ることはできない」と釈明。来館者の足を他の被災地に向けるゲートウエー機能に活路を見いだす考えだ。

 国や県でつくる震災伝承ネットワーク協議会によると、案内員や語り部がいる伝承施設は宮城県内に23あり、被災3県で最も多い。伝承団体同士のつながりが深まる一方、来訪者が減り、存続の危機にひんしている例もある。

 気仙沼市震災遺構・伝承館の佐藤健一館長(67)は「来館者に紹介し合える関係ができたら、個性を生かしつつ共存する道ができるはずだ」と、県につなぎ役を期待する。

 震災から10年が過ぎた4月、県は震災伝承の基本方針を初めて策定した。3本柱の一つに掲げたのが「多様な主体の連携」だ。

 行政と民間が後世に伝え継ぐ活動は、息の長い取り組みになる。

 「うまくいかなくても考え続けてほしい。私たちが未来に伝えたいという気持ちは、そんなにやわじゃない」。山内さんが訴える。

河北新報のメルマガ登録はこちら
震災10年 復興再考

 東日本大震災は命、暮らし、教育、社会の在りようを根底から問い直した。私たちが目指した「復興」とは何だったのか。政府の復興期間の節目となる震災10年に向け、その意味を考えたい。

震災10年 復興再考

震災10年 あの日から

復興の歩み


企画特集

先頭に戻る