<あなたに伝えたい>前夜の晩酌、最後の思い出に

「今年もハナショウブがきれいに咲いた」と話す紳一さん。あやめまつりには好己さんも訪れていた=多賀城市市川の多賀城跡あやめ園
横瀬好己さん

 宮城県多賀城市東田中の市職員横瀬紳一さん(61)は東日本大震災で父の好己(よしみ)さん=当時(75)=を亡くした。家族8人で暮らす自宅に津波は来なかったが、心臓に持病があった好己さんは震災発生から1カ月足らずでこの世を去った。震災関連死と認定された。

 好己さんは自衛官だった。若い頃から山登りが好きだった。船形山や栗駒山などでキノコ採りも楽しんでいたが、30年前に胃がんを患ってから出歩く機会は少なくなっていた。
 震災時、けがこそなかったが、ライフラインが途絶えていた間は大好きな風呂に入れず、テレビも見られなかった。「食べたい物も手に入らない。もともと神経質なところに不自由な生活が重なり、おやじはストレスがたまっていたようだ」と紳一さんは振り返る。
 次第に見舞いの電話に出なくなり、人と会うのも嫌がるようになった。亡くなったのは震災から24日後。朝は布団の中で普段通り眠っている様子だったが、昼すぎに家族が外出先から帰宅した時は既に息をしていなかった。病死だった。
 市内も津波の打撃を受け、道路をふさぐがれきや流された車の撤去など市職員としての業務に追われた。帰宅できない日々が続き、好己さんを気遣う余裕はなかった。
 亡くなる前夜は2人で晩酌した。「またそんなに飲んで」。いさめて口げんかになった。親子仲が悪かったわけではない。お互い無口な上、年を経るごとに口数が減っていた。紳一さんは「日常の一こまが最後の思い出になった」と語る。
 紳一さんの仕事の一つは、国特別史跡多賀城跡内にあるあやめ園の花の管理。毎年6月に「あやめまつり」を開催するため、日々の管理を23年前から続けている。
 最初は手探りだったが、ハナショウブの品種「長井古種」産地の長井市に勉強しに行くなどして、今は2・1ヘクタールに800種類約300万本がそろう東北随一の規模を誇るまでになった。
 好己さんは花の好きな妻に連れられて毎年来てはいたが、足が向くのは専ら食べ物の屋台。それでも、まつりの紹介で紳一さんがテレビ番組に出ると喜んでいたという。
 2011年はあやめ園の駐車場はがれき置き場になり、まつりは中止された。今年も新型コロナウイルス禍で中止になったが、入園は自由だ。「花は例年以上の美しさだが、仮におやじが見ても『花より団子』だろうな」
(報道部・佐藤素子)

 震災の死者・行方不明者を悼む「あなたに伝えたい」の情報をお寄せください。〒980-8660 河北新報社報道部震災取材班。電子メールはアドレスshinsai311@po.kahoku.co.jp。ファクスは022(211)1468。

河北新報のメルマガ登録はこちら
あなたに伝えたい

あの日奪われた最愛の人を、片時も忘れられない人たちがいる。悲しみに暮れ、喪失感にさいなまれながらも、きょうを生きる。「あなたに伝えたい」。家族らの思いをつづる。

先頭に戻る