「あの日から」第13部 芽吹き(3) 須賀川・橋本直子さん 電力事業 街に光と活力

社長を継いで3年を迎える橋本さん。電力の地産地消に向けた挑戦は続く=1日、須賀川市

 東北における新電力のパイオニアを、大きな危機が見舞った。

 「波は毎年ある。でも今回はとてもとても大きな波だった」。須賀川ガス(福島県須賀川市)社長の橋本直子さん(38)が振り返る。

 昨年12月から今年1月にかけ、卸電力市場が暴騰した。寒波による電力需要急増と全国的な燃料不足が要因だった。自前の大規模な発電設備を持たない新電力にとって、調達価格の高騰は存続に関わる。

 「再生可能エネルギーが広がる一方で市場の『ぶれ幅』が大きくなっている。電気一本だったら、つらかった」。窮地を支えたのは地域に根差すインフラ企業としての原点だ。

 1954年に祖父が創業した。ガソリンスタンド、プロパンガス、酒販、車検整備、保険、フィットネス。地域のニーズに応えながら業態の幅を広げ、地道に成長を続けた。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を機に、多様な商材の一つに加わったのが、電気だった。

 2011年12月、「手作り感満載」という出力10キロワットの小さな太陽光発電から始まった。社員と共にゼロから学びながら1カ所、また1カ所…。10年間で110カ所に増やし、約1万5000キロワットまで出力を積み上げた。

 15年には企業向けの電力販売を開始。顧客わずか9件で走りだした「世界一小さな電力会社」は、16年4月の家庭向け自由化で電力の地産地消を掲げ、東北に本社を持つ新電力第1号となった。今では設計から施工、管理まで全て手掛け、東北と関東に約1万3000の顧客を抱える。

 「顧客数はここ2年で2万が目標」。規模が大きくなればシステムや作業の負担と責任は増す。今冬のようなリスクへの備えも課題だ。「やればやるほど学びがある」。脱炭素の流れを受け、水素エネルギー事業への参入も思い描く。

 震災と原発事故は自身の人生の転機ともなった。

 英国の大学を卒業後、ロンドンで「ルイ・ヴィトン」に勤務。次のキャリアに向けて日本を旅行中、11年3月11日を迎えた。故郷の被害を目の当たりにして「英国に帰る選択肢はなかった」。そのまま家業に入った。

 いち早く発電事業に着手し、「電力は赤字でいい」と全てを任せてくれた父良紀さんは、社長を退いた18年、70歳で他界した。言葉と背中から多くを学んだ。「スピードとバランス。とらわれず自由に考える。忍耐。自分はどれも全然できていない」と苦笑する。

 19年は台風19号で本社などが浸水。20年以降は新型コロナウイルス禍、そして電力市場の高騰-。毎年のように訪れる試練は、社是である「地域社会に奉仕」の意味を思い起こさせた。「私たちの会社は、地域の飲食店や工場が元気であってこそ生かされている」

 電気もお金も地域で回る仕組みが理想だ。「これからも生活に欠かせないインフラ企業として地域を支えたい」。今年は協力店で使える独自のプレミアム商品券を発行した。にぎわいを生む場の創設も手掛けたい。

 街に光をともす、息の長い挑戦が続く。
(村上浩康)

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