「震災10年 あしたを語る」 女子プロレスラー 里村明衣子さん 団体の存続へ、絶対諦めない

仙女の試合でリングインする里村選手(仙女提供)

 東日本大震災の惨禍の中、死の淵、絶望の暗闇に立った。今、ある人は生きる人たちの道を照らし、ある人は喜びをもたらす。再起まで一本道ではなかった。かき分け、つまずき、たどり着いた10年の物語。

 <仙台を拠点とする女子プロレス団体、センダイガールズプロレスリング(仙女)の代表。今年、旗揚げ15周年を迎える>
 旗揚げから5年目で東日本大震災を経験した。今年は前任から代表を引き継いで10年の節目でもある。新型コロナウイルスの感染拡大で取り巻く環境が厳しい中でも、宮城県大崎市出身の14歳ら2人の新人選手をデビューさせた。コロナ禍に負けない仙女の未来は明るいと確信した。選手、団体とも、自信を持って良い試合をファンに届けたい。

 <震災で団体は存続の危機にひんした>
 巨大地震が来たとき、仙台市中心部のサウナにいた。慌てて事務所に向かった。いつもなら車で5分の道のりが大渋滞で1時間かかった。携帯電話もつながらない。被害状況を把握できず不安だった。停電で真っ暗となった街を見て「夜ってこんなに暗いんだ」と改めて思った。
 選手、スタッフとも無事だったが、事務所は全壊。予定した興行は全て中止となり、選手を実家に帰した。5月に呼び戻したが、スタッフは全員いなくなった。7人いた選手も次々辞めて私を含めて2人だけに。すごく悔しかった。多くの市民に応援してもらった仙女を簡単に崩壊させたくない。1人で会場の確保やチケットの手配などフロント業務を全てこなした。
 7月に興行を再開。全国各地を回ると多くのファンに駆け付けていただき、団体存続への資金になった。
 <2013年からは毎年、震災のあった3月11日に東京で興行を続けている。タイトルは「あの日を忘れない」>
 仙台など被災地では当たり前に残る震災の記憶は、距離が離れるほど薄れていると感じる。大きな災害はまた来るかもしれない。危機感を共有するためにも、1年に1回は思い出してほしいという願いを込めた。節目の日にマットに立つことで、自分自身も当時抱いた困難に負けない決意を思い起こせる。観客にも「この日だけは続けてほしい」と励まされている。

 <順調だった団体経営はコロナ禍で一変。2度目のピンチにも震災で得た経験が生きた>
 昨年は4月から5カ月間も興行ができず、収入が前年比で85%も減った。自分たちが築き上げた団体や仕事が天災で脅かされるのは震災の時と同じ。今度も絶対にギブアップしないと誓った。危機にひんしてからでは遅いと思い、損失を穴埋めするために選手と一緒に農作業を手伝った。働き先には宮城県亘理、山元両町など被災地の農家もあり、震災を乗り越えた強さを肌で感じて励みになった。8月に客席の削減など感染予防策を施して興行を再開した。
 二つの厄災を経験し、人と人が協力し合って初めて厳しい時代に向き合えることを痛感した。多くの方に支えられ、自分自身も大きく成長できた。感謝の思いを胸に、世界で活躍するトップレスラーとしてさらに飛躍したい。(聞き手は原口靖志)

[さとむら・めいこ]新潟県生まれ。1995年に15歳でガイア・ジャパンでプロデビューし、数々のタイトルを獲得。2005年の解散に伴って仙女の旗揚げに参加。エース兼選手育成に携わり、現在は所属選手9人を束ねる。13年に女子プロレス大賞を獲得した。

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