「震災10年 あしたを語る」 マイナビ仙台元選手 小野瞳さん 休部から再開、感謝胸に全力

2020年の皇后杯準決勝、日テレ戦でパスを出す小野さん=12月24日、京都府のサンガS

 東日本大震災の惨禍の中、死の淵、絶望の暗闇に立った。今、ある人は生きる人たちの道を照らし、ある人は喜びをもたらす。再起まで一本道ではなかった。かき分け、つまずき、たどり着いた10年の物語。

 <サッカー女子なでしこリーグ、マイナビベガルタ仙台レディースで昨年まで9季プレーし、現役引退した小野瞳さんは、東日本大震災で味わった絶望と希望を胸に刻む>
 震災発生時は、宮崎市内でのキャンプで練習中だった。役所の人から「仙台で震度7の地震があった。宮崎も津波の危険がある」と聞き、信じられない思いで慌てて宿舎に戻った。(宮城県松島町にいる)家族に電話してもつながらなかった。その時の恐怖心は、今でもすぐに思い出せる。

 <当時福島を拠点に活動していた東京電力マリーゼに入団した1カ月後、震災が起きた。東京電力福島第1原発事故の影響で、チームは活動休止に追い込まれた>
 震災の数日後、小野俊介ゼネラルマネジャー(当時)から活動休止を伝えられた。周りはみんな泣いていた。これからどうなるのか。サッカーができなくなる。大きな不安を胸に抱えながら散り散りになった。
 4月に東京電力入社後、銀座の東京支店に配属になった。お客さまの電話応対もした。「電力のせいでこうなった」。厳しいお声も頂いた。初めての社会人経験。一生懸命、仕事をしなければ、という思いしかなかった。
 7月下旬、防護服と線量計を身に着けて、車で福島県双葉町のチーム寮に荷物を取りに戻った。動物の足跡はあるが、人けは無い。避難した人はいつ戻れるのだろうか。想像を膨らませることしかできなかった。
 <不安の中、一筋の光が差した。休部中のチームがベガルタ仙台に移管され、多くの選手が再びピッチに戻れることになった。2012年2月に「ベガルタ仙台レディース」として新たな一歩を踏み出す>
 またマリーゼの選手たちと一緒にプレーできるという喜びでいっぱいだった。しかも、小さい頃から見てきたベガルタのチームで。夢のような気分だった。

 <12年4月15日。仙台市泉区のユアテックスタジアム仙台で、念願のホーム開幕戦を迎えた。常盤木学園高(宮城)と1-1で引き分けたものの、6532人の観客が声援を送り続けた>
 チャレンジリーグという下部リーグにもかかわらず、大勢のサポーターが来てくれた。胸がいっぱいだった。「サッカーを続けてくれてありがとう」と迎え入れてくれた。「サッカーを続けさせてくれてありがとう」。私の方こそ、感謝の思いでいっぱいだった。
 <9年間の現役生活はけがとの戦いでもあった。くじけそうな時は震災の経験を思い出し、乗り切った>
 困難なときほど、サッカーができること自体がありがたい、素晴らしいことだと強く思った。文句、不満が出そうなときは「もっとできることがある」と思ってやってきた。震災の経験はずっと大切に持っている。
 <チーム発足時も引退した昨季も、唯一の宮城県出身者として震災に向き合った。マイナビ仙台レディースの職員として歩む今後も、風化防止に尽くす>
 このチームができた背景には震災がある。ベガルタの名前はなくなったが、ここでのプレーは被災地とつながっている。その思いをこれからも、チーム全体で積み重ねていきたい。
(聞き手は狭間優作)

[おの・ひとみ]1988年生まれ。宮城県松島町出身。宮城・聖和学園高から早大を経て、東京電力マリーゼに入団。2012年2月、ベガルタ仙台レディース(当時)に加入。なでしこリーグ通算100試合出場、18得点。昨季限りで現役を退き、2月からマイナビ仙台レディースの職員。

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