「震災10年 あしたを語る」 元サッカーJ1仙台監督 渡辺晋さん 被災地忘れず勝利を目指す

J1仙台監督時代の渡辺さん=2019年12月、エディオンスタジアム広島

 東日本大震災の惨禍の中、死の淵、絶望の暗闇に立った。今、ある人は生きる人たちの道を照らし、ある人は喜びをもたらす。再起まで一本道ではなかった。かき分け、つまずき、たどり着いた10年の物語。

 <サッカーJ1仙台のコーチを務めていた当時、仙台市のクラブハウスで東日本大震災に遭った。手倉森誠監督(青森県五戸町出身)が、不安な様子を隠せない選手たちに「被災地の希望の光になろう」と呼び掛けた>
 震災発生直後はコンビニに数時間も並んでペットボトル1、2本買えるだけ。正直、自分の家族を守ることしか考えられなかった。誠さんは「希望の光になろう」の前に「われわれは被災者ではない」と言った。本当に苦しんでいる人は被災地にいる。プロのサッカーチームとして、やるべき大きなことがある。あの言葉で「俺たちが立ち上がらないで、誰が立ち上がるんだ」という思いになった。

 <4月23日にリーグ再開。仙台は川崎の本拠地、等々力陸上競技場で2-1と逆転勝利を収め、サポーターと喜びを分かち合った>
 等々力に多くのサポーターが集まってくれた。今でも信じられない。「被災地のために」と立ち上がったチームに、逆に被災地の人たちが声援を送ってくれる。何かを示す、やらなきゃいけないと強く感じた。
 試合後、誰もいないロッカールームで涙があふれた。声援を送ってくれたことへの感謝。選手たちの必死なプレー。そして勝ったこと。いろいろな思いがこみ上げた。誠さんに見つかった後、2人で涙しながら抱き合ったのを思い出す。
 <仙台はその後も快進撃を続け、2011年は4位。翌シーズンも勢いは止まらず、過去最高の2位で終えた。14年に監督に就任。年初の被災地訪問を、19年の退任まで毎年続けた>
 サッカークラブは地域に支えられて成り立つ。地域の歴史、文化を理解した上で監督はチームを率い、選手は戦う。新シーズンの最初の活動は被災地への訪問にした。新加入の選手、スタッフにクラブの使命を背負ってほしい。私なりのメッセージを込めていた。

 <今季J2山口の監督に就任した。新天地での指導方針は、震災の経験が基礎になっている>
 チームのテーマは「凡事徹底(ぼんじてってい)」にした。当たり前のことを、当たり前にやり抜くことが大事。その積み重ねが、勝利につながる。日常は当たり前にあることではない。それは震災から学んだ。毎日を真剣に生き抜く。何となく生きているだけでは、一日はあっという間に終わってしまう。
 昨年9月から3カ月間、神奈川大のコーチを務めていた時、監督から学生に震災の経験を聞かせてほしいと言われた。そこで伝えたのも日常の尊さ。学生は真剣に耳を傾けてくれた。そこから不振だったチームは、ほぼ無敗でシーズンを終えた。スイッチが切り替わってくれたのだと思う。
 <山口に拠点を移した後も、東北、仙台への思いは変わらない。被災地の動向は常に気に掛けている>
 復興はまだまだ。今後、人も町も震災前を超えるような力を付けてほしい。震災10年というが、区切りを迎えたことで、被災地への思いが小さくなってはいけない。あれだけの被害があった。11年目も同じような思いで、未来永劫(えいごう)忘れてはいけない。
(聞き手は狭間優作)

[わたなべ・すすむ]1973年生まれ。東京都出身。96年に駒大から札幌に加入。甲府を経て2001年に当時J2の仙台に移籍し、センターバックとしてJ1昇格に貢献。04年限りで現役を退き、仙台のコーチなどを経て14年4月に監督就任。6季連続でJ1に残留し、18年の天皇杯準優勝などの実績を残した。現在はJ2山口の監督。

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