「震災10年 あしたを語る」 横手市増田まんが美術館長 大石卓さん 津波の猛威を内陸でも伝承

大石卓さん

 東日本大震災の惨禍の中、死の淵、絶望の暗闇に立った。今、ある人は生きる人たちの道を照らし、ある人は喜びをもたらす。再起まで一本道ではなかった。かき分け、つまずき、たどり着いた10年の物語。

 <宮城県石巻市の石巻魚市場近くの食堂で遅い昼食を食べ終えたところで、東日本大震災に襲われた>
 石ノ森萬画館との打ち合わせで石巻にいた。激しい揺れで床に亀裂が入るのが見えた。割と冷静で、すぐに店のストーブを消した。
 萬画館に戻って「津波、来ないですね」なんて萬画館の職員としゃべっていた。すると北上川が見たこともないくらい干上がっているのに気付いた。慌てて自分の車で避難を始めたが、信号が全部止まっていて渋滞にはまった。
 日和山公園に上がっていく急勾配の坂を上りかけて、ふと後ろを見ると、もう車が流れてきていた。津波は間一髪だった。ほんの数秒。黒い塊みたいなのがゴゴゴゴと。やべかったです、本当に。
 雪が降り、民家の屋根の上にとどまっている人がかなりいた。夜になっても「助けてー」と叫ぶ声が聞こえた。
 <萬画館の職員に送ってもらい、横手市に到着したのは発生3日目だった>
 いろんな惨状を見てきて、一人で横手に残る気持ちにはなれなかった。食料や飲み物などを車に積んで石巻に戻った。発生から1カ月半は週末に通ってボランティアをした。
 増田まんが美術館では、石ノ森萬画館を応援しようと漫画家のチャリティーサイン会を開いた。翌年3月には故矢口高雄先生と一緒に支援金を届けに行った。

 <地元の横手市増田中で6年前から、被災体験を話している>
 内陸に住んでいると津波は沿岸の話だと思ってしまいがちだが、長い人生では沿岸部に行くこともある。
 自然の力の前に人間は無力だと思い知らされた。いつ起きても不思議ではない。「すぐに避難する」という心構えを伝えている。
 震災2日前の前震で津波の被害は少なかった。それが油断につながった。判断の遅れが招いた悲劇がたくさんあったと思う。

 <50歳で横手市職員を退職し、増田まんが美術財団に再就職した>
 あの時、あの場所にいた人は、みんな命を失う危険があった。生き残れたこと自体が奇跡だと思う。生かしてくれた命を世のため、人のために使いたい。漫画原画の保存ネットワークをつくり、漫画で皆さんをつないでいこうと考えた。やっぱり震災後に抱いた使命感が根底にある。全てが震災にひもづいている感覚だ。
 今年3月11日には石ノ森萬画館に行った。石巻は当時からだいぶ様変わりしていたが、工事中の場所が多く、街がよみがえったという感じではなかった。見ればやっぱり当時のことを思い出すし、いま生かされていることへの感謝の気持ちが湧いてくる。
 震災経験がなければ普通の市職員として辞令をもらい、別の部署で働いていた。すごく大きいことでした、自分の人生にとって。
(聞き手は野内貴史)

[おおいし・たかし]1970年、秋田県横手市増田町生まれ。湯沢高卒。88年に旧増田町役場に入庁、2005年の市町村合併で横手市職員となる。07年から増田まんが美術館を担当。20年3月に市職員を退職し、同年4月から市増田まんが美術館長。

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