<仙台いやすこ歩き>(142)山の神まんじゅう/小牛田名物 駅前で121年

 車窓に流れる、きらきら光る田んぼにはおがり(伸び)始めた苗。「あれ、サギ?」「そうそう!」と、久々の電車旅で静かにはしゃぐ2人が乗っているのは、JR東北線下り列車で、終点の小牛田まで50分弱の行程だ。

 小牛田駅前から歩きだしてすぐ、「山の神まんじゅう」ののぼりが見える。お店の戸をガラガラと開けて声を掛けると、奥から出てきたのは取締役の村上藤子さん(56)。とても昔懐かしい雰囲気の事務室を通り、応接室へと招き入れてくれた。

 山の神まんじゅう本舗村上屋(宮城県美里町)の創業は1900(明治33)年。「当時、東北本線の開通で小牛田駅は乗換駅として交通の要衝になったようです」。開通に合わせて旅館や飲食店が整う中、1軒の旅館がお土産用にと小牛田まんじゅうを作り、村上屋も初代が親戚筋だったことから、その製造販売を始めたという。「創業は、日露戦争より前なんですよ」と瞳を輝かせて話す村上さんは、4代目の奥さんで、店を継承するために17年前にこの地にやってきた人、生まれは横浜だそうだ。

 小牛田まんじゅうは旅人に大人気で、駅のホームに電車が着くたびに、人々は窓を開けてまんじゅうを買い求めた。売り子さんも大勢いて、木箱にいっぱいまんじゅう箱を積んで、手際よく売り歩いた。記憶の向こうから、その情景がふわっと浮かんできて懐かしい。

 「木箱を両肩にかけて売り歩くのは、とても重労働だったようで、売り子は主に男性。歩合制で、売れた分の賃金を手に横町の飲食店へ行ったりしたようですね」。昭和の駅前のにぎわいまで目に浮かぶ。

 さて、村上屋の小牛田まんじゅうは、なにゆえ山の神まんじゅうというのだろうか。「2代目が、差別化したいと近くの山神社(やまのかみしゃ)の宮司さんにお願いして『山の神まんじゅう』という名にさせてもらったそうです」と村上さん。

 当時4、5軒あった店も今では村上屋1軒だけ。「うちはやめそびれたんです。創業100年を過ぎた時点で、親戚一同もやめるのはもったいないとなって」。それで「工場もレシピも技術もあるんですから、もったいないので生かしたいと思っています。それに、おまんじゅうっておいしいですから」とほほ笑む。

 山の神まんじゅうは今では珍しい薄皮だ。「うちのはお茶っこ飲みのおまんじゅう。粒あんがたっぷり、小さめで甘さもあんパンぐらいなんですよ」。村上さんは、昔から東北出身の友達を見てて「東北の人は、『ちょっと手土産』という心遣いがあるな」と思っていたそうだ。今もお客さんは、手土産に、お茶のお供にと買い求められるという。

 北海道産の小豆を釜でたき上げ、薄皮をかぶせて蒸す製法も、味も、変わらず121年、東北のお茶っこ飲み文化に寄り添ってきた山の神まんじゅう。

 帰りの電車では、少し開いた窓からの風も爽やか。経木を開いて、行儀よく並んだまんじゅうを手のひらにとれば、めんこいこと、もちっとした薄皮に粒あんのおいしいこと!「ここにあの、ふたに注いで飲むお茶があったらな~」

おぼえがき/「和菓子の日」昭和に復活

 16日は「和菓子の日」である。江戸時代、和菓子を食べて疫を逃れ、健康招福を願う嘉祥(かじょう)という行事があり、この日、江戸城の大広間には2万個を超える菓子が並べられ、将軍から大名や旗本に配られた。白木の片木(へぎ)の上に、杉の葉を添えて並べられた菓子の絵が資料として残っているが、その絵の中には白いまんじゅうも描かれている。

 この行事の由来は、平安時代の848(嘉祥元)年6月16日までさかのぼり、以来、歴史の中で受け継がれてきたが、明治に入り廃れていたのを、昭和になって復活させたのが和菓子の日である。

 山神社は、山の女神である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)が主祭神で、1141年に勧請したと伝えられている。安産・子授けの神として御利益があると、古来、東北のみならず関東からも参拝者が訪れてきた。

 社殿裏手には本格的な日本庭園があり、初夏には130種1000株のアジサイが咲き乱れ、見事である。

 土地には、その土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター(愛称「みい」)とイラストレーター(愛称「画伯」)が、仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。

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仙台いやすこ歩き

土地にはその土地ならではの食があります。自他共に認める「いやすこ(仙台弁で食いしん坊のこと)」コンビ、仙台市在住のコピーライター・みうらうみさんとイラストレーター・本郷けい子さんが仙台の食を求めて東へ、西へ。歩いて出合ったおいしい話をお届けします。


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