<あなたに伝えたい>庭の木花、これからも大事に

寿一さんの作品を見ながら思い出を語る勇一さん(左)と久美子さん

佐藤勇一さん、久美子さん(宮城県七ケ浜町)から寿一さん、ともえさんへ

 宮城県七ケ浜町汐見台6丁目のアルバイト佐藤勇一さん(53)と妹のアルバイト久美子さん(49)は、同居していた父の寿一さん=当時(70)=と母のともえさん=同(71)=を東日本大震災で亡くした。仙台市の友人宅で地震に遭い、車で帰宅途中の多賀城市内で渋滞に巻き込まれ、津波にのまれたとみられる。

 寿一さんは仙台市内の中学を卒業し、地元の木材会社で30年以上働いた。トラックで県内外に木材を運ぶのが仕事だったが、震災前に手をけがして退職。勇一さんが働いていた多賀城市内の新聞販売店で一緒に新聞配達を始めた。

 「性格は真面目で無口。怒ると怖かったが、優しいところもあった」と勇一さん。寿一さんの提案で、配達途中に自動販売機の前で待ち合わせて一緒に休憩することもあったという。

 「夏の暑い日は冷たいジュース、冬の寒い日は温かいコーヒーを買ってくれた。飲み終わったら残りの配達を頑張ろうと互いに励まし合った」と振り返る。

 手先が器用で、工作が趣味だった。紙でできた鶴や空き缶を金色に塗った米俵、つまようじやたばこの箱を組み合わせた傘といった「作品」は、今も大切に自宅の玄関に飾っている。

 「一日中黙々と作業していた。何個も作って近所や役場にプレゼントし、テレビ番組で紹介されたこともある。作り方を教わっておけばよかったと思う」と悔やむ。

 家族の仲は良く、4人で頻繁に出掛けた。花や木が好きだったともえさんのお気に入りは、仙台市農業園芸センターだった。久美子さんは「休みの日はドライブがてらしょっちゅう出掛けて花を買い、自宅の庭に植えていた」と懐かしむ。

 ともえさんとの会話は3月11日、久美子さんが仕事に出掛ける際に、玄関で「行ってらっしゃい。気を付けて帰ってきてね」と声を掛けられたのが最後になった。両親の遺体は1週間後、安置所になった利府町の県総合運動公園(グランディ21)で見つけた。

 勇一さんと久美子さんはこの10年間、ともえさんの代わりに庭の木花の世話をしてきた。久美子さんは「花を見ていると明るく話し好きだった母を思い出す。大事に育てているが、弱って枯れてしまったものもある」と打ち明ける。

 2人は現在、七ケ浜町内の同じ職場で働く。朝と出勤前、帰宅後にそれぞれ仏壇に声を掛ける。「子どもを残して急にいなくなったから、きっと心配していると思う」「きょうだいで頑張っているから、空から見守ってと伝えたい」
(塩釜支局・高橋公彦)

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あなたに伝えたい

あの日奪われた最愛の人を、片時も忘れられない人たちがいる。悲しみに暮れ、喪失感にさいなまれながらも、きょうを生きる。「あなたに伝えたい」。家族らの思いをつづる。


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