河北春秋(7/15):1959年から宮城県知事を2期6年務めた…

 1959年から宮城県知事を2期6年務めた故三浦義男さんは在任中、「仙台市長と顔を合わせるのも嫌、という感じ」だった。総務部長だった故山本壮一郎さん(後に知事)の回想録にある▼当時の市長は革新の故島野武さん。自民党の三浦さんは6年半ぶりに県政を革新系から奪い返した。それだけに溝は深かったようだ。「県庁と市役所の間には越えがたい大きな川が流れているなどの風評があり、職員たちも何となくぎくしゃくしていた」と山本さんは記した▼党派的な対立も重なり「大きな川」はいつしか「さんずの川」と呼ばれるように。トップの交代とともに川の水かさは増えたり減ったり。変転を繰り返しながら、政令市への移行やゼネコン汚職の混乱をくぐり抜けた▼県と市に「協調」の2文字がくっきり浮かんだのは2001年のこと。共に改選の年を迎えた当時の浅野史郎知事と故藤井黎市長。連携すべき重点施策がめじろ押しで共同歩調を取った。さて現在。同じく改選の年に当たる村井嘉浩知事と郡和子市長。五輪の有観客開催を巡る意見は食い違うが、距離感は?▼18日告示の市長選。知事は市長からの応援要請を受けマイクを握るという。「さんずの川」の流れはどうなるのか。2人の言動をじっくり見極めるとしよう。(2021・7・15)

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