宮城ゆかりの人たち<アニメージュとジブリ展 鈴木敏夫さんに聞く・下>

「石ノ森さんはアシスタントを大切にしたし、アニメージュの座談会にもよく協力してくれた。人間的にいい人だった」と振り返る鈴木さん=東京都渋谷区

 <鈴木さんは編集者時代、宮城県登米市出身の漫画家石ノ森章太郎さんと交流があった。仕事を超えた付き合いだったという>

 (アニメージュ以前に担当していた)子ども向けテレビ雑誌「テレビランド」で、仮面ライダーなどのテレビヒーローを漫画化した作品を掲載していた。石ノ森さんのアシスタントたちが作画を担当した縁で、何度か彼らの結婚式に呼ばれた。いつも主賓あいさつが石ノ森さんで、次に話すのが僕。石ノ森さんが「君のお祝いの言葉、いいよね」と話し掛けてもらったのを機に仲良くなった。
 仕事場(石森プロ)があるのに、いつも石ノ森さんは、客がいない西武池袋線桜台駅前の喫茶店「ラタン」の隅っこで仕事をしていた。僕が行くと必ず石ノ森さんとおしゃべり。仕事ではなく、普通の世間話だ。
 石ノ森さんはすごくいたずら好きな人。ある時、東映主催のサイン会のため色紙を用意することになった。石ノ森さんが「鈴木君、色を塗れるよね」と言うので、彼の描いた絵に色を塗って手伝ったことがある。
 そこに東映のプロデューサーが来て一言「先生の色紙は素晴らしいですね。特に色が」。石ノ森さんがうれしそうに僕を見て笑ってくれたのを覚えている。もちろん「僕が塗りました」とは言わなかったが。

 <宮城ゆかりの人物に関連し、話は宮城県気仙沼市出身でアニメージュ初代編集長尾形英夫さんに及ぶ>

 「風の谷のナウシカ」(漫画は82年スタート、映画は84年公開)以降、雑誌が忙しい中、映画も作る状況が続いた。当時僕はアニメージュの編集長になっていて、部長会をはじめ月に30もの会議に出なければならなかった。
 仕事にならず全て欠席したら、役員会で尾形さんが「鈴木が会議をサボっている。担当重役として、どう思うんだ」と言われてしまった。尾形さんも「あいつは仕事してます」と答えたものだから、「会議も仕事だ」と紛糾したそうだ。
 役員会から戻った尾形さんに「申し訳ないです。2回に1回ぐらいは出るように努力しましょうか」と話すと、「あんなもん出たって意味ないから」と守ってくれた。僕はすてきな上司に恵まれた。まねできないし、いまだに勝てない。

 <鈴木さんは宮城県大和町出身の彫刻家佐藤忠良さんのファンでもある>

 映画「おもひでぽろぽろ」(1991年)の取材で何度もアトリエに足を運び、お世話になった。素晴らしい作品を残した人で、僕は大好き。頂いた年賀状を全部残して持っているほどだ。仙台に行くと必ず(佐藤忠良記念館がある)宮城県美術館(仙台市青葉区)に行く。一押しは彫刻「群馬の人」だ。

[メモ]「アニメージュとジブリ展 一冊の雑誌からジブリは始まった」(実行委員会主催)は9月12日まで、石巻市の市複合文化施設で開かれている。入場料は一般1500円、中高生1000円、小学生800円。連絡先は街づくりまんぼう0225(23)2109。

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