<今こそ ノムさんの教え(8)>「不真面目な優等生」

 重要な仕事のパートナーとしてどちらを選びますか。何事にも一生懸命だがややしゃくし定規な人と、いつもはちゃらんぽらんだがここぞでという場面で輝く人。野村監督が勝負強い選手の資質と考えたのが今回の語録「不真面目な優等生」。

ダルビッシュ投手の顔写真を貼った打撃マシーンの前で投球のまねをする野村監督=2009年2月19日、沖縄県の久米島野球場

 「今日の『科捜研の女』は面白そうだった…。たまにはゆっくり見たいよ。『相棒』もいいな」

 本拠地の試合前、まれに野村監督が遅れて顔を出すと、ばつが悪そうにぼやいた。昼すぎに警察ドラマの再放送をつい見始めたらしい。強引に野球に絡めて言い訳した。「四六時中野球でもだめ。『真面目な優等生』は物足りないんだ」

 ぼやきに配慮してか、遠征移動のバス内で「相棒」の知る人ぞ知る名作「殺しのカクテル」が流されたこともあった(つい細かい逸話を入れてしまうのが、筆者の悪い癖。「遊び」は今回のテーマに通じます)。

 本題に戻る。野村監督の中で「真面目な優等生」は、嶋基宏捕手(現ヤクルト)だった。「学校の成績を聞いたらオール5だぞ。頭が良いからのみ込みも良いはずと思ったんだ」

 ただ野村監督には窮屈さを感じる配球だった。「『困ったら原点(打たれにくい外角低めのストライク)を攻めろ』と指導はしているが、嶋のリードは外角一辺倒。いつも困ってるのかな?」。野村監督は常々ぼやいた。時に一皮むけてほしいと願ってこう言った。「不真面目になれよ」

 実際に言っているのを聞いた時、つい突っ込みたくなった。「夜遊びの勧めですか」。連想したのは北野武監督が若者の挫折を描いた映画「キッズ・リターン」のシーン。台頭著しい新人ボクサーのシンジは試合を控え減量していた。ある日落ちぶれた元新人王ハヤシが居酒屋に誘い、シンジにビールを注いで言う。悪魔のささやきのように。

 「堅気ばっかりやってちゃいけないよ。弱いやつが酒をやめたからってどっちにしろ弱いんだから。強いやつはどっちにしろ強いんだよ」。シンジはここから酒浸りになり、最後にはボクシングをやめる。

 実際に野村監督は二日酔いで練習に現れるプロ意識に欠けた選手を見ると、失笑した。「酒浸りはただの『不真面目な劣等生』」。野村監督が求めたのは、実力ある「優等生」が殻を破るために「不真面目さ」を身に付けること。一番の要素は「遊び心」だった。

 実際に不真面目にした選手がいる。1979年、西武での現役生活最終盤に捕手としてバッテリーを組み、新人王に導いた投手。「兄やん」こと松沼博久だ。

 松沼には制球力があった。下手投げから浮き上がる速球に、落ちる変化球もある。だが当初、思うほど白星が付かなかった。

 ストライクを丁寧に集めすぎる投球が、逆に難点だった。野村は言った。「おい、ストライクを投げるな。このサインの時は」。逆転の発想を促され、松沼は目を点にした。「ボール球のサインなんてあるんですか」

 ロッテ戦で野村は配球の妙を見せる。終盤、1死一、二塁のピンチ、強打者レロン・リーとの勝負はフルカウントにもつれた。

 打者は甘い球を仕留めたい。投手は得点打、四球もだが、失投を避けたい。どちらもストライクゾーンへ意識が集中する局面だ。

 「よし、ボール球だ」。野村は勝負手を打つ。「必ず振る。二塁転送で三振ゲッツーにできる。ランナーも走るカウントだ」

 松沼はきっちり真ん中高めのボールゾーンへ投げた。つられてリーのバットは空を切る。狙い通りピンチを脱した。コースの選択は、百戦錬磨のベテランだから知る抜け道。「『待ってました』と思える真ん中高めの甘いコースなんて、欲との戦い。俺が決めると強く思う主軸ほどボール球でも振っちゃうよ」

 それから約30年。東北楽天監督として見た不真面目な優等生は誰なのか?
 他球団にいた。日本ハムのダルビッシュ有投手(現大リーグパドレス、宮城・東北高出)。ピンチになると圧巻の投球を披露する「ギアチェンジ」が持ち味だった。西武の岸孝之(現東北楽天、東北学院大出)もだ。落差の大きいカーブを駆使する緩急の幻惑投法を絶賛した。2人は臨機応変というもう一つの不真面目な要素を持っていた。

 「岸なんて仙台出身だ。うちは地元選手を何で逃すんだ。おい、何でだ?」。野村監督に聞かれ、背景を言えず困った経験がある。

 2004年ドラフト候補のダルビッシュの時は、球団創設のさなかで出遅れ。だが06年の岸は本人の意向が通る希望枠で西武とぎりぎりまで争った。

 岸が西武を選んだ決め手は「注目されていない頃から見てくれた」だった。ほかにも東北楽天を選ばなかった若者らしい理由もあった。「髪の乱れは心の乱れ」。野村監督は身だしなみに厳しかった。それを岸は気にした。長めの髪型でジャニーズ系アイドルばりの風貌だった。

 かつての岸は、極度に理不尽さを嫌う真面目な優等生。部の罰則で丸刈りにされるのを拒み「野球をやめる」とごねた。「練習嫌い」を指摘されれば「今の自分に必要な練習ならやる」と貫いた。高校も大学も強豪校からの入学勧誘をあえて受けなかった。プロ入りも、我が道を貫ける先はどこかと嗅覚に従った。

 「…そういう訳です」とは野村監督にはとても言えなかった。

 15年が過ぎた。岸も古里に帰ってきて今や36歳。通算140勝に迫る。練習の虫で「超」が付くほどの優等生として周囲から尊敬される存在だ。

 もし岸が野村監督の下でプレーしていたらどうなっていたか。つい妄想してしまう。
(一関支局・金野正之=元東北楽天担当)

[のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。

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