「震災10年 あしたを語る」 釜石東中2年 藤原菜穂華さん 語り部を続け住む街誇りに

藤原菜穂華さん

 世界を覆った不条理な悲しみ。人々は人間の力を信じ、未来を見詰め、踏みだした。歩みを重ねて10年。東日本大震災を語ることは癒やしや励ましだった。困難を乗り越える力だった。悲劇を繰り返さない誓いであり、連帯だった。だから、われわれは語り続ける。

 <東日本大震災の教訓を伝える語り部活動を小学生から続ける>
 震災でたくさんの人に助けられた。人のために何かをしたいと活動を始めた。伝えることで誰かの命を救えるかもしれない。防災を粘り強く訴えていけば地域が変わると信じる。「悲しい記憶は風化してもいいのでは」と言う人はいるが、災害は苦しくて嫌な思い出でも忘れてはいけない。

 <2018年に発生した北海道地震の被災地支援にも熱心だ>
 避難所で北海道のボランティアの方にたいへんお世話になった記憶がある。いっぱい遊んでもらって元気になった。その人たちが困っているかもしれないと募金活動を始めた。
 19年3月、小学5年の春休みに現地を訪れ、募金を届けた。みんな暗かったらどうしようという不安があったが、子どもたちは明るくて、すぐ仲良くなれた。今も交流を続けている。

 <震災で母を失った。災害は毎年どこかで発生し、命を失う人がいる>
 傷ついている時に声を掛けられるのはつらい。声を掛けるのではなく、寄り添うのが大事。家族を亡くした人が、私の活動を知って「こういう子もいるんだ。自分も頑張ろう」と感じてくれたらすごくいいな。
 大きな悲しみに沈んでいる人には、話を聞き出すのではなく、自分から語り出す日を待って、その時しっかり耳を傾けてほしい。一人で抱え込むのはとてもつらいから。唯一、こちらから言葉を掛けるとしたら「あなたは一人じゃない」。

 <市が語り部を養成する「大震災かまいしの伝承者」の資格を最年少で持つ>
 私は震災当時、3歳だった。ボランティアと遊んだ記憶しか残っていない。だからこそ風化させたくない。思い出すためにインターネットで津波や被災地の映像を見ている。
 最初は思い出すのがつらく、小学校の防災の授業すら受けたくなかった。でも伝承活動に取り組もうと決めてからは、きちんと知ろうと震災関係の動画や番組を進んで見るようになった。なぜこんなに亡くなったのか、どうすれば助かったのか考えながら見る。

 <震災から10年がたった。釜石の街は新しくなったが、復興は見た目ではないと考える>
 10年は節目だけど、それ以上の意味はない。未来へ向けてどんな活動をしていくかが大切だ。震災を経験したからこそ、できるようになったことがある。この街を明るくしようと、立ち上がってくれた大人と出会えたのがすごく良かった。
 震災は最初は悲しい、つらい思い出だけだったけれど、徐々にいい体験をしたと思えるようになった。被災を乗り越えてきた自分たちの勇気や住んでいる街を誇りに感じたい。そういう人が増えていくことが復興だと思う。
(聞き手は中島剛)

[ふじわら・なおか]2007年、釜石市生まれ。小学生の時、震災の被災者支援や伝承活動を行う一般社団法人「三陸ひとつなぎ自然学校」で子どもリーダーを務める。北海道地震の被災地支援や防災学習会の自主企画などに取り組む。同市片岸町在住。

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