「震災10年 あしたを語る」 脚本家 内館牧子さん 死者との交歓、生者に安らぎ

内館牧子さん

 世界を覆った不条理な悲しみ。人々は人間の力を信じ、未来を見詰め、踏みだした。歩みを重ねて10年。東日本大震災を語ることは癒やしや励ましだった。困難を乗り越える力だった。悲劇を繰り返さない誓いであり、連帯だった。だから、われわれは語り続ける。

 <2019年、東北放送が制作したテレビドラマ「小さな神たちの祭り」で脚本を手掛けた。東日本大震災の津波で家族全員行方不明になった主人公が、死者の世界に触れる物語。記者会見で「亡くなった人たちはどこかで生きているという思いがあった」と語った>
 震災後「タクシーに亡くなった人を乗せた」「死んだ子のおもちゃが動いた」などの話を耳にし「幽霊」という言い方に違和感を持った。怪奇現象ではない。気持ちを寄せ合う生者と死者の交歓を書きたかった。
 「自分だけ幸せになれない」と結婚に踏み切れない主人公に、弟が「俺たちだけ死んでごめんな」と謝るせりふがある。生きている人が逆に救われないかと考えた。普通は死んだ方がかわいそうだが、彼らがあの世の地元で生者を見ながら幸せに暮らしていると思うことが、生者を楽にする気がした。
 (遺族らの)悲しみや苦しみはその立場でないと分からないけれど、ドラマという虚構の世界であれば役立てるかもしれない。相撲の研究で在籍した東北大大学院で宗教学や日本思想史を学んでいたのが大きい。

 <震災直後、政府の復興構想会議の委員を務めた。東京電力福島第1原発事故の取り扱いなどを巡り、議論は冒頭から紛糾した>
 東北ゆかりの人々が集まり、何とかしなきゃと気負いも熱気もあった。私は居眠りしていた政府高官に「起きなさい」とチョップを食らわせてしまった。連日連夜の対応で疲れていたと思うが、今も高官がテレビに出ると消す。
 追悼や伝承、地域主体を示した「復興構想7原則」は間違っていなかった。どこまで実現しているかは別だが。原則5「大震災からの復興と日本再生の同時進行を目指す」は予算の流用が問題となった。東北の復興で日本も再生するという意味だったが誤解された。

 <「保守と変革」を復興の重要な視点に挙げ、安全は大前提だが無機質な町を造れば「東北は2度死ぬことになる」と発言した>
 便利できれいでも、路地も無駄もない町は東北の「地霊」に合わない。命を守らなければならないが、とてつもない防潮堤ができてしまい、無力感が募った。
 変わった町に人心がどこまで納得しているか。2度死んだとまでは言わないが、死なないため、これから何ができるか考えなければいけない。特に仙台には(東北を活気づける)「興東北」の先陣を行く気概を持ってほしい。

 <復興構想会議は11年6月に首相に提言した後、1回開かれただけだった>
 5年、10年と続くと思っていたが、いつの間にか終わった。有志で「もう一回やろう」と集まったが、国が動かないと難しい。
 もう一度、会議を設置してはどうか。当時のメンバーが入らなくても、むしろ被災地在住の識者を中心にして現状を洗い直す。改めるべきは改め、進めるべきは進める。これをまず各県主導でできないか。きちんとフォローしていくことが、今後の希望になる。
(聞き手は坂井直人)

[うちだて・まきこ]1948年、秋田市生まれ。武蔵野美術大卒。東北大大学院修了。三菱重工勤務を経て、88年脚本家デビュー。代表作はNHKの連続テレビ小説「ひらり」「私の青空」など。「小さな神たちの祭り」は国際エミー賞の部門で最終選考作品にノミネートされるなど、国内外で高い評価を受けた。女性初の横綱審議委員も務めた。

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