「震災10年 あしたを語る」 高野病院(福島・広野)理事長 高野己保さん 困難に屈せず地域医療守る

高野己保さん

 世界を覆った不条理な悲しみ。人々は人間の力を信じ、未来を見詰め、踏みだした。歩みを重ねて10年。東日本大震災を語ることは癒やしや励ましだった。困難を乗り越える力だった。悲劇を繰り返さない誓いであり、連帯だった。だから、われわれは語り続ける。

 <東京電力福島第1原発の南約22キロ。福島県広野町の高野病院は原発のある双葉郡で唯一、事故後も避難せず入院機能を守った>
 内科と精神科で計107人が入院していた。寝たきりの人もいて簡単には移動できない。院長で常勤医の父(英男さん)が「この時季は南風で放射性物質は飛んでこない。下手に動くより建物の中にいた方が安全だ」と判断した。
 町が避難指示を出し、約80人いたスタッフは13人に減った。看護師は寝不足でふらふら。むくんでパンパンになった脚をもんであげることしかできない。移動可能な一部患者を3月19日から避難させ、やっと一息つけた。

 <精神科病棟を休止したものの、内科病棟と外来診療は続けた>
 避難しない判断を尊重した県は、4月に町内が緊急時避難準備区域に指定された途端「何で残っているんだ」と態度を一変させた。入院患者は区域にいないよう国が求めたからだ。
 家族が避難して看病できなくなったり、避難所で体調を崩したりした人の新規入院も責められた。目の前で倒れている人を助けるのが病院なのに。
 看護師の補充にも苦しんだ。9月30日に区域が解除され、放射線量が落ち着いても応募がほとんどない。東京で採用したが、来てもらうには同水準の給料が必要。人件費が一気に増えた。

 <行政や東電の対応に振り回された>
 地域医療を担う民間病院に、行政の支援は十分ではなかった。住民が減った地域での運営や再開には困難が付きまとうのに「特別扱いはできない」という姿勢。県が双葉郡内への県立病院の新設を優先したことが、本当に悔しかった。
 県の支援制度ができると、東電はそれを理由に賠償金を減額した。性質が違うお金なのに、東電がルールを決める。賠償金への課税も納得できず、議員立法での解決を国会議員に訴えたものの立ち消えになった。

 <2016年12月30日、英男さんが宿直用建物の火災で亡くなった。81歳だった>
 過労で体が弱り始め、医者としての人生を全うさせるのが私の目標だった。親子よりも同志や戦友のような感覚があった。
 消防関係者に止められたが遺体を確認し、しっかり見送った。この地に開業し、家族を顧みずに働いた父が一番大切にした患者とスタッフを守らなければいけない。医師らによる「支援する会」ができ、全国からのボランティア診療を経て常勤医を確保した。

 <経営は赤字続きで厳しい。それでも訪問看護に力を入れるなど、地域に根差した医療を掲げる>
 この10年を言い表すなら「理不尽」「不条理」。民間病院が太刀打ちできない状況に置かれ続け、多くの人に助けられた。
 諦めることもできるが、私には高野病院が存在する光景が当たり前で、原発事故でも壊れなかった数少ない日常。「自分たちができること、正しいと思うことを粛々とやろう」。父が残した言葉に支えられている。
(聞き手は東野滋)

[たかの・みお]1967年、福島市生まれ。仏教大卒。2008年、高野病院事務長に就任。16年11月から理事長。東日本大震災直後の病院を題材にした絵本「たかのびょういんのでんちゃん」で原案を担当した。いわき市在住。

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