「震災10年 あしたを語る」 兵庫県知事 井戸敏三さん 現地入り即断、ノウハウ助言

井戸敏三さん

 世界を覆った不条理な悲しみ。人々は人間の力を信じ、未来を見詰め、踏みだした。歩みを重ねて10年。東日本大震災を語ることは癒やしや励ましだった。困難を乗り越える力だった。悲劇を繰り返さない誓いであり、連帯だった。だから、われわれは語り続ける。

 <東日本大震災の地震で兵庫県内は最大震度3を観測し、最大30センチの津波が到達した。1週間後、ボランティア先遣隊のバスに乗り込み、宮城県入りした>
 兵庫県庁6階の知事室が少し揺れた。テレビの津波映像にショックを受け、大変なことになる、対応を検討しなければならないとの思いに駆られた。名取市閖上地区を訪れ、阪神大震災の時と違って根こそぎ奪う津波被害の大きさをひしひし感じた。

 <支援の動きは速かった。震災発生の翌日に災害対策支援本部を設置。12日後には気仙沼市、石巻市と宮城県南三陸町に現地本部を開設し、常駐職員が避難所の運営や仮設住宅建設のノウハウを助言した>
 被災地に情報を整理して発信する余裕はなく、支援側が積極的に現地に取りに行く。これが阪神大震災で経験した大災害の鉄則だ。専門職員がチームで物資や医療、保健、産業振興の手助けに当たった。

 <兵庫県が宮城県を支援するカウンターパート方式は、震災2日後に緊急開催した関西広域連合で決まった。井戸さんは広域連合長で広域防災の担当知事だった>
 岩手県は大阪府と和歌山県、宮城県は兵庫県、鳥取県、徳島県、福島県は京都府と滋賀県と割り振った。支援の長期化や被災地での課題の変化を見据え、責任を持って支援を続けるのが望ましいと考えた。
 兵庫県が宮城を担当したのは、私が宮城県沖地震翌年の1979年から3年半、宮城県財政課長などを務めた縁もある。

 <「ボランティア元年」と呼ばれた阪神大震災の被災県として県民のボランティア活動を促した。公費支援したバスは10年間で延べ471回運行され、計1万4610人を運んだ>
 「知らない人が来て邪魔される」などと警戒し、被災市町村のボランティア受け入れ態勢は当初十分ではなかった。しかし私たちは生活や住宅再建における役割の大きさを体験しており、迅速な態勢整備を助言した。
 特に大型連休前に必要だと考え、4月20日から兵庫県が独自に東北自動車道泉パーキングエリア隣接地にインフォメーションセンターを設置した。全国から訪れるボランティアに現地情報を提供するなど、活動先を調整した。

 <兵庫県内の市町村職員も含め、2012年度からこれまで延べ1034人の職員を中長期的に被災自治体に派遣している>
 「しっかりと会話ができるような状況にならないと(被災者の)本音がうかがえない」。派遣職員は異口同音にこう語った。関西の人は行政に言いたいことをばんばん言うが、東北の人は遠慮する。要請せず、できることは自分でやることから始める。気質が違った。

防災のモデル、共に発信を

村井嘉浩宮城県知事(右)を訪ね、阪神大震災の教訓を伝える井戸さん=2011年3月19日、宮城県庁

 <復旧復興の担い手は阪神大震災では地域が主体だったと自負する。東日本大震災も被災地主体とすべきだと国に提案してきた>
 実際は国主導で、地域の自主的な対応は少し欠けていたように思う。被害が兵庫県に集中した阪神と違って広範囲に及び、そうならざるを得なかったのではないか。良かった面と悪かった面がある。自治体の財政負担はほとんどなかったが、地域の実情に見合った事業の必要性や適切性はどうだったか。

 <阪神でかなわなかった国の復興交付金などが実現した。だが2013年6月に施行した復興に関する初の恒久法「大規模災害復興法」では、財源は明確に制度化されていない>
 復興交付金は完全に使途を地元に委ねたわけではなく、最終的には各省に査定された。もっと自由度が高ければ良かった。今の新型コロナウイルス対策関連の交付金も使途は決まっている。
 財務省が一番嫌がるだろうが、財源措置が規定されないと、自治体は安心できない。(南海トラフの巨大地震のような)大被害が想定されていてもほったらかしでは済まされない。

 <派遣職員の激励を兼ねて被災地を何度も訪れ、復興状況を確認してきた>
 高台移転先はすてきな住宅地だが、次の世代が住んでくれるのかが気になった。住宅だけで、きれいだが生活臭に欠ける。人々が暮らし続ける町にしていくのが課題だ。
 ハード中心の復旧が先行し、生活や産業の復興が残る。これは地元の人が担っていかなければならず、外からの支援に限度がある。

 <震災後、関西広域連合は大規模広域災害を想定した災害対応指針「関西防災・減災プラン」を作り、訓練も実施している>
 どこで大災害が起きてもおかしくない時代で、各ブロックで全体の事前防災計画が欠かせない。国は、防災や災害後の復旧復興、地域振興に一貫して取り組む「防災庁」のような機関を設置するべきだ。
 関西広域連合は当初から国に出先機関の移管を求めているが、逆に震災で国依存が強まったかもしれない。国からは「東北地方整備局が大活躍したから復旧が早まった。分権化したら大変なことになるぞ」と、震災を逆手に取られた。

 <知事会見で被災地支援や話題を毎月発信し、震災10年の時は「これからも手を携えて『災害文化』の確立に努めたい」と語った。7月末、阪神大震災の復興と共に歩んだ5期20年の県政トップを退く>
 東北の被災地との結び付きを大事にしてきた。災害文化とは、家具の転倒防止装置を付けるなど日常生活に災害対応を組み込むこと。みんなが考えられるようになると社会の防護力が高まり、コミュニティーの強化にもつながる。
 あれだけ大きな災害を受けた私たちは、減災・防災のモデルとなる生活を営んでいける。それを発信し続ければ、他地域の励みになるはずだ。
(聞き手は坂井直人)

[いど・としぞう]1945年、兵庫県生まれ。東大卒。68年自治省(現総務省)に入り、宮城県財政課長、大臣官房審議官などを経て阪神大震災翌年の96年4月から兵庫県副知事。2001年7月の兵庫県知事選で初当選し、現在5期目。20年12月まで関西広域連合長を務めた。

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