バド混合複の渡辺・東野組 コンビ10年、福島から飛躍

混合ダブルス3位決定戦で香港ペアに勝利し、ガッツポーズで喜ぶ渡辺(左)、東野組=武蔵野の森総合スポーツプラザ

 日本バドミントン界の新たな歴史を切り開いた。混合ダブルスで渡辺勇大、東野有紗組(日本ユニシス、福島・富岡高出)が30日、3位決定戦で香港ペアを破り、銅メダルに輝いた。

 世界に水をあけられていた種目で初のメダル。コート上で抱き合い、喜びを分かち合う。福島で出会った2人の胸に、10年間の歩みが込み上げる。

 はつらつとして前のめりな後輩と控えめで聞き役になる先輩。相性は始めから抜群だった。

 福島・富岡一中時代のインドネシア遠征が初陣。渡辺が腰を痛めていたにもかかわらず3位に入った。高校時代は世界ジュニア選手権で銅メダル。1歳上の東野は「五輪を目指すなら、勇大君とじゃないといけないと直感した」。

 福島で心を鍛えられた。寮生活になじめず、東京の親に電話で泣き付いていた渡辺は、厳しい練習に耐えられるほど精神的にたくましくなった。早朝ランニングで毎日置いていかれた東野は「負けたくない」という気持ちを養った。

 渡辺が中学1年、東野が2年の3月、東日本大震災に遭った。卒業式が終わり、体育館で練習を始めようと体操している時だった。大きな揺れに襲われ、グラウンドに避難した。

 富岡町は東京電力福島第1原発事故で全町避難を強いられ、活動拠点は猪苗代町に移った。専用体育館はない。寮では2人1部屋だったが、民宿を借りるなどして、多い時は7人が1部屋で寝た。

 監督だった斎藤亘さん(49)は「何もない状況だから、みんながスポーツのできるありがたみに気付いた」と言う。親離れできずにいた渡辺も、「ホームシック」とは言わなくなった。「福島に恩返しがしたい」と思うようになった。

 社会人になり、世界レベルの選手となっても、2人からはいつも謙虚さがにじみ出る。冗談を交えて周囲を和ませる渡辺。その横で「勇大君あっての自分」と一歩引く東野。絶妙なバランスが好プレーを引き出している。

 初の五輪で期待に応えた。渡辺は「福島での6年間は競技人生の大事な一ページ。福島で培ったことが成果に結び付いて、誇りに思う」。万感の表情に達成感が染み渡っていた。
(佐藤夏樹)

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