震災から10年の夏、憧れの甲子園へ 東北学院、幼なじみの2選手

 9日開幕の第103回全国高校野球選手権大会に、宮城代表の東北学院(仙台市)が初出場する。少年野球チームで一緒だった主戦伊東大夢(17)と右翼手及川健成(17)は、仙台市中野小1年時に東日本大震災で被災した。生活環境が激変して同じユニホームを着られない時期もあったが、高校で再会。夢に見た大舞台の切符をつかみ取った。

宮城大会決勝で甲子園出場を決め、応援席に向かう伊東(奥左から2人目)と及川(同3人目)=2021年7月23日、石巻市民球場

 2011年3月11日、2人は下校中に大きな揺れを感じ、それぞれ屋上へ急いだ。津波は2階建ての校舎をのみ込む勢いだったが、屋上には達せず、避難した児童や周辺住民約600人が助かった。

 「死んでしまうのかなと何度も思った」と伊東。母裕子さん(45)は「子どもたちは『夢なの?』と繰り返していた。かなりの恐怖だったと思う」と話す。

 2人の自宅は津波で全壊した。伊東は市内の祖父母宅に身を寄せ転校。及川はみなし仮設に入居し、中野栄小に間借りした中野小(16年閉校)を卒業した。

 離れ離れになった2人をつないだのが野球だった。

 伊東は小学1年で地元の少年野球チーム「中野スパローズ」に入団し、転校後も所属。3年時に及川が加入し、一緒に白球を追い掛けた。4年時には91チームが参加した市学童新人大会で準優勝した。

 その直後、伊東は青森市に転居した。中学入学と同時に仙台に戻ったが、及川と中学は別だった。再び2人は東北学院で会う。

 「また一緒に野球ができてうれしかった」と伊東。今夏の宮城大会では伊東が主戦、及川は打撃班チーフも務める主軸として創部以来初の優勝に貢献した。

 2人にとって甲子園は小学時代からの憧れの地。一緒に高校野球のテレビ中継を見て「俺たちも行きたいね」と夢見ていた。困難を乗り越え震災から10年後の夏、ついに夢をかなえた。

 復興への道のりはまだ途上にある。「10年で何が変わるわけでもない」と及川。宮城大会前に2人は「今まで助けてくれた方々に恩返しができればいい」と率直な思いを確認し合った。

 ピンチのマウンドで、伊東は当時を思い返す。「震災を乗り越えられた。だから大丈夫だ」。すると、気持ちが落ち着くという。

 初戦の対戦相手は強豪の愛工大名電(愛知)。チームの目標はまず、甲子園での1勝だ。裕子さんは「何も背負わなくていい。伸び伸びと自分たちの野球をしてほしい」と願う。

仙台市学童新人軟式野球大会で準優勝して喜ぶ(後列右から)及川と伊東=2013年

恩師も祝福「けんちゃん、大夢 頑張った」

 仙台市宮城野区の少年野球チーム「中野スパローズ」で、監督として伊東大夢(17)と及川健成(17)を指導した平野利幸さん(64)=宮城野区=は「僕が教えた子が優勝したのは初めて」と喜んでいる。

 宮城大会は決勝を含む5試合を観戦。「けんちゃん(及川)はあんなに打つと思わなかったし、大夢も迫力が違う。頑張ったんでしょう」と感慨深げだ。

 中野スパローズは1974年に設立。伊東と及川が所属していた当時は15人ほどで活動していた。「2人とも目立つような子ではなかったが、いつも真面目に練習していた」と語る。

 震災では、中野小の倉庫に保管していた練習道具が津波で流失。1カ月半後、近隣チームの練習場所を借りて練習を再開させた。転居や転校を余儀なくされた児童が多く、2016年に活動を終えた。

 「いつか誰かが甲子園に行ってほしいと思っていた。本当にかなうとは」と平野さん。甲子園はテレビで観戦する予定。「とにかくけがをしないで頑張ってほしい」と活躍を期待する。

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