岩手県大船渡市赤崎町の市職員志田成美さん(26)は、東日本大震災で一緒に暮らしていた祖母スミさん=当時(77)=を亡くした。当時は両親と祖父母の5人暮らし。大津波は自宅2階まで押し寄せ、1人でいたとみられるスミさんが帰らぬ人となった。
「まさか二度と言えなくなるなんて」。2011年3月11日朝、スミさんに「行ってきます」と言わなかったことが、今も志田さんの胸のつかえとなっている。
スミさんは日本舞踊をたしなみ、畑仕事に精を出す働き者だった。しつけは厳しく、「勉強をしっかりするように」と口酸っぱく言われた。口論になるのは、いつものことだった。
大学受験の話題がテレビから流れたあの日もそうだった。当時、志田さんは高校1年。「なっこ、いい大学に入らないと駄目」と言われ、とげとげしく「なんでそんなことを言うの」と返した。大げんかになり、スミさんの「一生話さない」との一言にむくれた。
どんな時も「行ってきます」は欠かさなかったが、この日は無言で家を出た。
部活動の最中に大きな揺れに見舞われ、母(56)の職場で眠れない一夜を明かした。翌朝、父(65)とも合流し、徒歩で自宅へ向かった。スミさんは神社の境内で毛布にくるまれ、安置されていた。泣きじゃくり、なぜ素直になれなかったのかと悔やんだ。
被災地から「逃げたい」との一心で仙台市の大学へ進学。卒業後も仙台に残り、「お金を扱う仕事なら復興の力になれる」といったんは銀行に就職した。
復興が進み、帰省するたびに古里のまちは変わっていた。「自分も震災と向き合わないといけない」との思いが強まった。
震災の少し前、スミさんが口にした言葉も思い出した。「私がいなくなったら、じいちゃんをよろしく」。祖父(79)はスミさんが亡くなった年齢に近づいた。大船渡に帰ると決めた。
2019年10月に銀行を辞め、翌11月から市職員として働き始めた。
仙台での1人暮らしを通じてスミさんの言葉の意味がだんだん分かってきた。社会で生き抜くには礼儀や教養が必要。孫の将来を案じ、厳しく接していたと気付いた。
高台に再建された自宅から出勤する前と帰った後、必ず仏壇の前でスミさんに手を合わせる。
「行ってきます」
「今日一日ありがとう」
後悔と感謝を胸にあいさつを続けている。
(大船渡支局・田柳暁)
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