社説(8/14):雫石事故50年/記憶と教訓 伝え続けたい

 岩手県雫石町の上空で全日空機と自衛隊機が衝突して162人が犠牲となった「雫石事故」から50年がたった。墜落現場では、事故が起きた日に合わせて「航空安全祈念式」が営まれた。記憶の風化が懸念される中、事故の悲惨さと教訓を改めて認識する機会になった。

 1971年7月30日午後2時すぎ、千歳発羽田行きの全日空ボーイング727旅客機と訓練中の航空自衛隊F86F戦闘機が衝突し、墜落した。亡くなったのは全日空機の乗客乗員全員。松島基地(東松島市)所属の自衛隊機の乗員1人は、パラシュートで脱出し無事だった。

 半世紀という歳月が流れても、遺族の心の傷は癒えない。全日空機の乗客乗員のうち125人は、静岡県富士市からの団体旅行客だった。オンラインで祈念式に参列した遺族代表(85)は「命枯れるまで悲しみが心の中から消えることはない。二度と起きないように事故の記憶と教訓を伝え続ける」と訴えた。

 85年に日航ジャンボ機事故が起きるまで、国内で最大の犠牲者を出した航空機事故だった。空域未分離が招いた未曽有の大惨事は、当時の防衛庁長官と航空幕僚長の辞任に発展し、軍事優先だった航空行政の歴史を変えた。

 雫石事故を契機に制定された改正航空法は、民間機と自衛隊訓練機の空域を完全に分けるよう運航ルールを厳格化した。レーダー管制の整備も進み、空の安全は向上した。

 当事者の全日空と自衛隊の意識も大きく変わった。全日空は安全確保に向けたシステムの整備や社員研修を徹底してきた。研修施設「ANAグループ安全教育センター」(東京都大田区)では、事故機の一部を展示。捜索や遺体安置所の様子を映した映像も流し、惨劇を自分事として捉えさせている。

 航空自衛隊は「安全の日」と定めた7月1日に、災害派遣を除く航空機の運航を原則中止し、安全教育や点検を実施する。井筒俊司航空幕僚長は7月29日の記者会見で「空自として、決して未曽有の事故を風化させることなく、継承していく」と強調した。

 事故現場は75年に「慰霊の森」として整備され、五十回忌の昨年に名称を「森のしずく公園」と改めた。地域住民が維持管理に努め、全日空と自衛隊も折に触れて部署ごとや個々で訪れ、清掃活動を続けている。

 雫石町と富士市は三十三回忌翌年の2004年から子ども同士の交流を始めた。今回の祈念式では、子どもたちが短冊に犠牲者への思いや事故の伝承に向けた決意をしたため、ハトの形をした風船に取り付けて飛ばした。

 悲惨な空の事故は二度と起きてほしくないと誰もが願う。教訓を末永く語り継ぐとともに、国や関係企業は空の安全を確保する努力を継続してほしい。

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