政治家のスケール小さく 元環境庁長官・元防衛庁長官 愛知和男氏<小選挙区制25年>

[あいち・かずお]東京都出身。東大卒。1976年、衆院選旧宮城1区で初当選。93年に自民党を離党して新生党結成に参加、新進党に合流した。小選挙区導入の96年は宮城1区で議席を獲得したが、自民に復党後の2000年に落選。比例東京に単独立候補した05年に国政復帰し、通算9期。09年に政界引退。環境庁、防衛庁の各長官を務めた。都内在住。84歳。

 金権政治の打破を目的とし、政権交代可能な二大政党制を見据え、導入から25年が経過した小選挙区比例代表並立制が生み出したものは何だったのか。中選挙区時代から東北の地盤などで衆院選を戦った5氏に、小選挙区の功罪と現在の政治状況に対する受け止めなどを聞いた。

 -小選挙区制のスタート時は新進党に所属し、改革を進める立場だった。

 「振り返って考えると、改革は大失敗だった。日本の政治のスケールが小さくなった。政治家自身もサラリーマン化し、政治家らしい政治家がいなくなってしまった」

 「中選挙区の制度もさまざまな課題があった。特に政治とカネの問題。『派閥の力学で政治が動く』とのマイナス面も強調された。どうにかしなければならないというのが改革の原点だった。小選挙区になり、選挙資金の面ではかなり安上がりになった。それは改革の大きな効果だ」

 -中選挙区時代の旧宮城1区は故三塚博氏との激しい「三愛戦争」が繰り広げられた。

 「とにかく厳しい選挙だった。同じ政党で政策の基本的な部分は変わらない。自民党の候補者というより、一人の人間としてどう有権者からの信頼を得るかが重要だった。人間として鍛えられた」

 「中選挙区は個人戦が中心。(新生、新進と)党を変えても当選できたのは信頼関係があったから。制度が変わり、『党としてどう評価されるか』に変化した。濃い人間関係がなくても所属政党が評価されれば票は入るようになった」

 -小選挙区2度目の2000年衆院選は、自民から立候補して敗れた。

 「1区の三塚さんの支持者に支援をお願いしても長年争った相手。なかなか支持は広がらなかった。『自民だから』と投票してくれた人はいただろうが、棄権した人も多かったのではないか。とにかく激しかった三塚さんとの戦いの苦労から解放され、『大丈夫だろう』という油断もあった。今も心が痛む」

 -小選挙区の課題は。

 「政治家を志す人にとっては中選挙区の方が立候補しやすいのではないか。中選挙区時代は無所属で立候補し、当選後にいずれかの政党に入るケースが多かった。今、無所属での当選の可能性はかなり低い。党公認の後ろ盾がないと、立候補することさえ難しい」

 -公認権を持つ党本部の存在が大きくなっている。

 「公認までのプロセスが明瞭でない。批判をかわすために公募という手法も採られているが、効果は上がっていない。公認権も選挙資金の差配も党本部が全て握っているため、党内で物が言えない。公認権がいわば脅しとなり、党本部の言うことを聞かざるを得なくなった。政治家のスケールを小さくしている要因だ。議員一人一人の面白みがなくなっている」

 -現行制度の改革の必要性をどう考えるか。

 「白黒をはっきりさせ、1人だけが当選する小選挙区は日本の社会になじまない。そもそも無理があった。現実的ではないかもしれないが、戻せるなら戻した方がいい。現行制度の改善点は公認を決める手法だ。米国のように予備選を本格的に導入し、広く人材を募る環境を整えるべきだ」
(聞き手は東京支社・山形聡子)

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