<今こそノムさんの教え(14)>「しっかり食べよう」

 「サライ」の大合唱も聴いたし、夏休みも終わり。大したバカンスもなかったのに例年並みの疲れを感じるのは? そう、夏バテ。野村監督は日本球界最高齢の74歳まで東北楽天でグラウンドに立った。食事こそが元気の源と考えた。今回の語録はシンプルな「しっかり食べよう」。登場する食品の効能は個人の感想としてご参考ください。

 真夏の午後。痛いほどの日差しが当たる本拠地の三塁ベンチ。野村監督はいつもの特等席に腰掛けた。記者に囲まれたが、話し始めようとしない。数十秒後、ようやく短く一言。

 「臭う?」

 ニンニクを日頃からサプリメント的に食べている。「さっき食べ過ぎちゃった。ちょっとスタミナ付けようと思って…」。口元に右手を当てて呼気確認。「はーっ、どうかな?」。すると笑顔とともに、空気にほんのり苦みが帯びてきた。

 片手には熱中症対策のペットボトル。茶色い中身をごくごくと流し込む。免疫力アップやアンチエイジングに効果があるとされるキノコ、カバノアナタケのお茶を専属広報がいつも一定濃度で入れてくれる。それを1日にボトル3本は飲んだ。「これ飲むと体調いいんだよ。抗がん効果もあるらしいから、王(貞治)にも勧めたんだ」

 夜は肉食系。宮城県庁前の宿舎から繁華街・国分町に繰り出した。目指すは横町の高級ステーキハウス。「ほかの店に行けなくなるくらいうまい」と大のお気に入り。仙台牛ステーキ約200グラムをペロリ。「肉をかんで食べられるのも元気な証し」と豪語した。

 ニンニクも、肉食も若手選手時代からのスタミナ源だ。「食は重視してきた。体が資本だから」。その原体験とも言える話がある。

 「50年以上も前の忘れられない味」があった。南海(現ソフトバンク)入団が決まった時、18歳の野村さんは未体験のごちそうを食べた。有望選手は契約書を交わした後、フルコースでお祝いをしてもらうというのは今ならよくある話。当時はどんな品だったのか?
 カレーライス。

 入団テストで汗を流した後、食堂で頼んだ。「肉が入っているはずだから」。戦後間もなく、野村家は食べていくことに苦労した。肉は正月でもなければ無縁。大金をつかんで家族を支えるために志したプロの世界。ハングリー精神はまず食べ物に向かった。

 一気に3杯をペロリ。見ていた球団職員は驚いて「それにしてもよく食べるなあ」。続くせりふは、カレーの味と共に野村さんの心に刻み込まれた。「食が細い選手は大成しない。お前は素質あるぞ」。練習するから腹が減り、食べるから体が強くなるという理屈。

 野村さんは裏方兼務のテスト生から名選手に成り上がった。食べ物はその歩みの象徴だった。

 駆け出しの頃、球団の寮では丼飯のほか、みそ汁と漬物だけだった。必死に努力して1軍に定着。ホームランバッターとして開花し、年俸も上がった。パワーの源とするため意識して焼き肉を食べた。「年俸1億円以上だった」という選手兼任監督時代、東京で中華料理店に通ってフカヒレそばを好んだ。そこで後に妻になる沙知代さんに運命的に出会った。

 「この選手はものになる」。1999年からの阪神時代、野村監督はかつての自分を見た気がした。遠征宿舎の食堂、若手が約2時間も居座っていた。実に見事な食べっぷり。

 まだ20歳そこそこの井川慶投手だ。野村監督の見立て通り、高卒4年目の2001年に9勝して台頭。03年には20勝を挙げて18年ぶりのリーグ制覇に貢献。後に大リーグにも挑戦した。

報道陣から贈られたバースデーケーキを前にご機嫌の野村監督=2006年6月29日、仙台空港

 だから東北楽天でも、同じように食堂で若手を見れば言った。「しっかり食べよう。プロは食べるのも仕事」。しかし、眼鏡にかなう豪傑は現れなかった。

 09年8月、身長186センチですらっとした新人井坂亮平投手に食事指導した。すると数日後、肺気胸で戦線離脱。井坂を「モヤシ」と呼んだ監督。さすがに「食が細いから体を悪くする」と思わざるを得なかった。

 選手には、ただやみくもに量を食べろとは言わなかった。「体を大きくしたいなら1日5食くらいに分けて食べた方が良い」とも伝えた。適切な食べ方に対する知恵を含むのが、井坂離脱から日を置かずに起きた「カツ丼事件」。

 8月22日、6連勝で迎えた一戦。先発は新人左腕藤原紘通。約2週間前、同じ相手のオリックスに1安打無四球の準完全試合でプロ初勝利。しかし続く好投はできず、KOされた。結局0―10の完敗。試合後の会見で、野村監督は突然、ある目撃情報を明かした。

 「試合前から嫌な予感があった。藤原が試合前の食堂でカツ丼を食べていたんだ。腹いっぱいに」

 試合前は通例、消化が良く、エネルギーになるうどんやそばなどを摂取する。腹八分目も基本だ。だからカツ丼を見て目を疑ったという。「満腹になったら血が胃にばっかり行っちゃう。試合で動きが鈍るし、打たれて当たり前だ」

 「監督、いくら新人でも…」。記者たちは素朴な疑問をぐっと我慢。疑惑解明のため、本人と周辺の取材に向かった。

 実は、カツ丼を食べたのは似た風ぼうの別人。試合前練習を補助するスタッフらしかった。藤原はスパゲティを食べていて、完全なぬれぎぬ。単に野村監督の見間違いだった。

 「適切な食事が大事」。監督は単にこう言いたかったのだが、例によってぼやきが行き過ぎた。

 夏の終わり、どうにも食欲は減退しがちだ。引きこもり生活で弱りがちな高齢者ほど、野村監督のように体調管理を意識して食事してほしい。あしたの自分を育むと思って。

 蛇足。野村チルドレンのある大物選手は試合前にカツ丼を食べても余裕だったらしい。現在、指導者になっているとか。20年ほど前の担当記者による目撃談。(一関支局・金野正之=元東北楽天担当)

 [のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。

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