<今こそノムさんの教え(16)>「あらかじめを大切に」

 今回の語録は「あらかじめを大切に」。野村監督は試合に臨む選手に対戦相手のデータ確認など「準備」の重要性を説いた。「予感」「予測」「予防」など「予」が付く言葉を挙げながら。日常生活なら「予備」もそう。台風シーズンだし、備蓄品の在庫を確かめようか。品薄になる前に買っておかなきゃ。

グラウンドで談笑する野村監督=2008年6月11日、Kスタ宮城(当時)

 「今日の対戦投手はデータを見ても相性が良くないですよね? どう対するおつもりですか」。試合前の雑談で、対戦チーム側のテレビ局アナウンサーらがよく口にする。中継で使えるネタを増やそうと、データ好きの野村監督に聞く。ただ本人はやや不愉快そう。「元名解説者」の自尊心を刺激されたようだ。

 「あなた方がデータとして扱っているのは単に過去の情報の集積だろう。俺のデータはもっと深く掘り下げたものなんだよ」

 1980年代前半、テレビ画面にストライクゾーンを映し出す「野村スコープ」で一時代を築いた。データに名捕手として培った観察力、洞察力、勝負勘をプラスして、次の投球がどのコースへ行くかを推測した。結果はずばずば的中。予言のような名人芸だった。

 「テレビ局の賞にも輝いたんだ。よほど貢献がないともらえないらしく、そのほかはアニメの『ドラえもん』だった」と自慢した。

 監督としてもデータを踏まえ未来を予測した。アウトカウントやボールカウントなどの状況別に、対戦相手がどんな行動を取ってくるかを細かに把握した。それを試合で相手攻略の手掛かりとした。

 珠玉の名場面が野村ヤクルトの97年開幕戦。対するは球界を代表する巨人の大エース斎藤雅樹。開幕戦は無敵状態で4年連続の完封勝利を狙っていた。

 主役は35歳小早川毅彦。前年限りで4番として活躍した広島を戦力外になって来た。ベテランは野村再生工場の本領発揮とも言える大爆発をする。

 「投手不利の1ストライク3ボール。普通は真っすぐでストライクを取りに来るが、斎藤はカーブ。だまされたと思って打ってみろ」。野村監督は事前に斎藤攻略の秘策を指南していた。

 しかし小早川は、真っすぐ狙いを基本に対応する天才型の打者。二回の第1打席は初球真っすぐを打って先制弾を放った。それで気を良くして迎えた四回の第2打席だった。予期せずカウントは1ストライク3ボールのカウントになると、あらかじめ頭にあった野村監督の言葉に従う。

 予言的中。カーブが来た。

 考えようによれば、打ち損じたって「監督の指示に従っただけ」と言い訳できる。その気楽さからか、小早川の振りは鋭かった。打球は右翼席へ同点ソロ。すると六回も変化球を右翼席へ運び、3本のアーチで勝利へと導いた。

 翌朝の新聞の見出しは「小早川開幕戦3打席連続弾」。強打者復活どころか伝説をつくってしまった。この開幕戦勝利で一気に勢いづいたヤクルトは、1年間ほぼ独走で巨人からリーグ王座を奪還する。

適時打を放ち、ガッツポーズする中村紀(右)=2009年4月5日、札幌ドーム

 「シンキングベースボール」「ID野球」「TOP野球」「無形の力」

 南海(現ソフトバンク)、ヤクルト、阪神、東北楽天。野村監督は指揮するチームが移るごとに、頭を使う野球のスローガンを変えていった。ただ、本人としては根本理念はいつも同じだった。そしてより直接的な表現を好んだ。

 「IDとか何とかあるが、野村野球とは結局『準備野球』だ」

 野村監督は打席での心の準備についても「あらかじめ」と口酸っぱかった。あらかじめ結論を言ってしまおう。「欲から入って欲から離れる」。結果を求めて打席に入るのだが、好結果を意識しすぎてはいけないという戒めだ。「無欲になれ」というよりも「欲を乗り越えろ」という達人的な境地とも言える。

 2009年5月、敵地での中日戦。1―1で迎えた九回、抑えの左腕岩瀬仁紀を相手に1死満塁の勝ち越し機を築いた。右打席には中村紀洋。「外野フライで1点」が求められる状況だ。しかし内角への140キロを打ち損じる。結果は本塁アウトを狙って前進守備していた遊撃へのゴロ。俊足の三走内村賢介が好走塁で際どく生還したが、本塁併殺でもおかしくなかった。

 野村監督はぼやきが止まらなかった。「犠飛狙いの打席なんて楽なはずだ。俺の現役時代なんか『犠飛でいいんだろう、お任せ』って自然と脱力したもんだ」

 そして「欲から入って…」と力説した。

 心に余裕や落ち着きがあるからこそ、絶好球が来た時に力まずに仕留められる。野村監督は「『来たーっ』と思った時ほど0・1秒待て」とも言った。それが超一流打者の所作。歴代2位の通算657本塁打を放ったからこその金言だった。

 同じく球史に残る長距離砲の中村紀でも、前年まで所属した中日の本拠地で無意識に「欲」が出てしまったのかもしれない。野村監督には力みが入った打撃として見えた。「犠飛狙いの心境だったら、結果は満塁弾になっていたかもしれない」

 何事も準備が大事。「あらかじめ」が本番を左右すると伝える逸話だった。

 さて、原稿はこの辺にしてそろそろ備品を買いに行こうか。でもやっぱり「欲から入って…」。マスクの奪い合いになった去年の反省もあるし、1人の欲深さがみんなに迷惑を掛ける。店に行く前にあらかじめ意識しておかないと。
(一関支局・金野正之=元東北楽天担当)

[のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。

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