(85)煮崩れし南瓜の端を生家とも/成田 一子(1970年~)
文末に「思う」と入れると読み取りやすいでしょう。崩れていく南瓜(かぼちゃ)を見ながら、それを生まれた家とも感じているのです。実際に家に見えているわけではなく、印象を重ね合わせています。ではその重なり…
関連リンク
- ・(84)椋鳴くや文箱かつての宝箱/中矢 温(1999年~)
- ・(83)星飛んで巨(おお)きな墓に王ひとり/津川 絵理子(1968年~)
- ・(82)月の夜の柱よ咲きたいならどうぞ/池田 澄子(1936年~)
- ・(81)もう我が田無けれど稔る田に安堵/島田 啓三郎(1926~2021年)
- ・(80)新北風(ミーニシ)や太古の呪文が目覚めゆく/おおしろ 房(1955年~)