(85)煮崩れし南瓜の端を生家とも/成田 一子(1970年~)

 文末に「思う」と入れると読み取りやすいでしょう。崩れていく南瓜(かぼちゃ)を見ながら、それを生まれた家とも感じているのです。実際に家に見えているわけではなく、印象を重ね合わせています。ではその重なり合う部分はどこでしょうか。南瓜の立体的な形、温かな家庭の味、しかしそこに崩れるという不穏なイメージがあります。円満な家庭というのも達成しがたい理想の一つです。しかしこの南瓜にも、それぞれの家の美味(おい)しさが確かにあります。句集『トマトの花』より。(及川真梨子)

関連タグ

河北新報のメルマガ登録はこちら
秀句の泉

 「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。


企画特集

先頭に戻る