<耕論・宮城知事選/被災者支援の実相>(3)注目集めた「宮城方式」、平時に残らず

支援員の経験を生かし、住民目線で通所リハビリ利用者に寄り添う三浦さん(右)=9月、南三陸町

 東日本大震災から10年が過ぎた3月末、宮城県の被災者支援の中核を担った「県サポートセンター支援事務所」が、ひっそりと看板を下ろした。

 被災者の生活支援拠点「サポートセンター」は県内13市町に計約60カ所設けられた。見守りやサロン運営を担う支援員は地域住民を積極雇用して最大1000人規模が活動し、被災者自身が支える側にも回る「宮城方式」が全国から注目を集めた。

 福祉の専門職ではない支援員や市町をバックアップし、要となったのが震災半年後にできた支援事務所だ。

 運営を任された県社会福祉士会が高齢者や子ども、困窮に携わる民間団体の協力で、研修を開いたり、情報共有や各地の課題解決に努めたりした。

 「計画立案や現場の調整にも尽力してもらえ、人脈や視野が広がった」。南三陸町のサポートセンターに携わった町社会福祉協議会の高橋吏佳地域福祉係長(49)は評価する。

地域に共助の意識浸透

 閉鎖に対する戸惑いは大きかった。支援員から施設職員や民生委員ら地域福祉の担い手が育つなど、住民自身が支え合う意識が浸透し始めていたためだ。

 南三陸町の介護福祉士三浦日和(ひより)さん(58)も元々は主婦。活動初日に「孤独死を防ぐのが役目」と言われ正直不安があった。

 「あなたに何ができる」

 被災者の重い言葉に無力感を募らせながら、地域で共に暮らす生活者の目線で寄り添った。「震災前は家族の幸せだけ願っていたが、一人一人ができることをして地域がつくられる。経験が誇りになった」。研修や現場で学びを深めて人生観が変わった。

 町社協は登録ボランティア制度を創設するなど、震災で培った共助を根付かせようとする。支援事務所の閉鎖に高橋係長は「地域づくりはこれからも続く。一緒に考えてくれる旗振り役は必要だ」と困惑する。

縦割りへの逆戻り懸念

 「宮城独自の取り組みを展開した」。村井嘉浩知事は本年度から5年間の県地域福祉支援計画で支援事務所の活動を自賛し、「経験やノウハウを活用し、地域共生社会の実現に全力で取り組む」と誓う。

 具体的には、介護保険法に基づく高齢者の生活支援事業にこれまで積み重ねた研修などの知見を生かすというが、「全くの別物だ」との指摘がある。

 支援事務所でコーディネーターを務めた仙台市の社会福祉士真壁さおりさん(48)は「地域福祉に携わる官民を横断的につなぎ、幅広く住民を育ててきたのにもったいない」と縦割り行政への逆戻りを懸念する。

 閉鎖は仮設住宅が役目を終え「国の予算対象外になった」(県長寿社会政策課)ことなどが理由だった。

 「ここでやめるのは、宮城方式を『被災者支援の枠組み』でしか見ていないからだ」。元県職員で、南三陸町の復興に関わった元東北学院大特任教授(福祉社会学)の本間照雄さん(71)は疑問視する。

 阪神大震災で住民主体の復興まちづくりを支援した兵庫県は条例を制定し、復興期だけでなく「平時」に仕組みを拡大させた。

 「絶望から育んだ宮城方式を、日ごろの県民の支え合いに生かしていくべきだ。行政がフレームを作らないと簡単に消える」。本間さんは危惧する。
(報道部・坂井直人)

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