<あなたに伝えたい>感謝胸に未来を開く

両親の思い出を語る悠輔さん=8月30日、多賀城市
鍋島弥生さん
鍋島彰教さん

 仙台育英高3年の鍋島悠輔さん(17)=多賀城市=は、古里の福島県浪江町請戸地区を襲った東日本大震災で、母弥生さん=当時(43)=を亡くした。父彰教(あきのり)さん=同(46)=と車に乗って逃げているときに津波に巻き込まれたとみられる。彰教さんは現在も行方が分かっていない。

 今年のお盆、悠輔さんは弥生さんが眠る浪江町の大平山霊園や母校の請戸小を訪れた。自宅が流された辺り一面に草が生い茂っていた。浪江での暮らしよりも宮城などでの生活の方が長いが、風景や風の香りがどこか懐かしい。自分の古里だと実感した。

 彰教さんも弥生さんも、意思を尊重してくれた。水泳、サッカー、ゲーム…。やりたいことに挑戦させてくれた。

 弥生さんの怒った顔を見た記憶がない。料理が得意でママ友らに料理を教えていた。朝、家の食卓には焼きたてのパンが並んだ。一緒にお菓子を作ったこともあった。

 彰教さんは請戸地区にあった苕野(くさの)神社の神主を務めていた。5歳上の姉悠希さんと3人でスポーツゲームで汗を流した。パソコン作業の際には膝の上に乗せてくれた。ぬくもりは忘れていない。

 震災時、悠輔さんは請戸小の1年生。学童保育中に大きな揺れに襲われ、先生の車で逃げた。すぐ後ろに迫る15メートル超の津波が脳裏に焼き付いている。慣れ親しんだ海だから恐ろしかった。

 震災から約1カ月後、悠希さんと一緒に神奈川県平塚市の祖父母に引き取られた。それまで福島県内を転々とした。身を寄せたのが誰の家かも定かではない。震災から数年間の出来事はあまり覚えていない。

 ただ、いつになっても両親が迎えに来ない。不思議だと感じていた。

 祖父母が両親の消息を教えてくれたのは震災半年後。それまで誰も両親の話題に触れなかった。自分から尋ねるのも避けていたのかもしれない。涙は出なかった。「いつ話そうか考えてくれていたのかな。なぜか分からないけれど冷静に受け止めた」

 今は高校の寮で暮らしている。自宅で料理の手伝いをしていたから食事作りはお手のもの。音楽好きの両親の影響か、高校では軽音楽部でバンド活動に打ち込んだ。来春から専門学校で音楽や楽器製作を学ぶ。

 将来は音楽関係の仕事に就きたいと思っている。音楽家が集うカフェを開く夢もある。料理の腕も生かせるだろう。「私の前からいなくなってしまったが、両親にありがとうと伝えたい」。2人とつながる「血」のようなものを感じながら、未来を切り開くつもりだ。
(福島総局・吉田千夏)

河北新報のメルマガ登録はこちら
あなたに伝えたい

あの日奪われた最愛の人を、片時も忘れられない人たちがいる。悲しみに暮れ、喪失感にさいなまれながらも、きょうを生きる。「あなたに伝えたい」。家族らの思いをつづる。


企画特集

先頭に戻る