<まちかどエッセー・小川直人>お願い、コルレオーネ

 おがわ・なおとさん せんだいメディアテーク学芸員。1975年仙台市生まれ。東北大大学院教育学研究科修了。メディアテーク開設準備段階から携わり、映像文化を中心にアーカイブや図書館に関する事業に取り組む。宮城大特任准教授。個人でも上映会や本の制作などに関わる。青葉区在住。

 仙台在住の小説家・伊坂幸太郎さんの短編「スロウではない」(「逆ソクラテス」収録/2020年)の主人公・司(つかさ)は、友達の悠太(ゆうた)を映画「ゴッドファーザー」(フランシス・F・コッポラ監督/1972年)に登場するマフィアのボス、ドン・コルレオーネに見立て、苦手な運動やクラスメートのことを相談する。ドン=悠太は、小学5年男子の問いにも、いつだって貫禄のある答えを返してくれるのだ。

 やや冴(さ)えない男の子2人が、不釣り合いに大人びた映画の台詞(せりふ)を借りながら小学生なりの悩みに向かい合うこの物語に、私たちはおかしみと同時に親しみも感じるはずである。なぜなら、私たちも彼らのように、映画や、あるいは文学や漫画、人によっては一曲の歌から、人生のヒントをもらったことがあるだろうから。

 職業柄、人より多くの作品を見る機会に恵まれている私にとっては、やはり映画である。人生について映画から学んだことは多い。しかし、映画をたくさん見たからといって必ずしも立派な人間になれるわけではないのも事実。むしろ、おおよそシネフィル(映画狂)というものは、立派な人間とは言い難いことも多い(もしそうでないシネフィルの方がいたら失礼)。

 しかし、それでもなお、映画から学ぶことは多いと私は言いたい。なぜなら、優れた映画というものは、それに携わる人々の思いや試行錯誤が凝縮したものだからだ。シナリオを組み立て、いくつもの場面を撮影し、編集で映像と音を組み合わせてひとつの作品に仕立て上げる。制作のための資金集めも必要だし、完成した映画を観客に届けるために映画館や映画祭で働く人もいる。何人もの経験が積み重なって一本の映画はできているのだから、たとえそれが娯楽映画と言われるものであっても、いやむしろ誰でも楽しめる娯楽映画にこそ、深い含蓄が含まれているだろう。だから、みなさんも気負わず、しかし、丁寧に映画を見てほしい。そして、時にはその登場人物に語り掛けてみてほしい。きっと何か答えてくれるはずだ。

 さて、今回で連載も終わり。私の文章から学べることがあったかどうかはかなり怪しいけれど、なにか残るものがあれば幸いである。
(せんだいメディアテーク学芸員)

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まちかどエッセー

 仙台・宮城在住の執筆者が、それぞれの活動や暮らしで感じたことをつづります。


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