「星野仙一さんはユニホームが戦闘服」 記念館館長、思い出語る

 2013年に監督としてプロ野球東北楽天を日本一に導き、18年に亡くなった星野仙一さんゆかりの品を集めた「星野仙一記念館」(岡山県倉敷市)が11月末、閉館する。星野さんと約35年の親交があった運営者の延原敏朗館長(80)に星野さんとの思い出を聞いた。(聞き手は写真映像部・藤井かをり)

記念館を訪れた星野さんの旧友に囲まれ、思い出を語り合う延原さん(右)

「自分の応接間」

 -2008年の記念館開館のきっかけは。

 「03年、阪神でリーグ優勝した際のユニホームをプレゼントしてくれた。タンスの肥やしにしておくのはもったいないと思った。星野さんの盟友、山本浩二さんと田淵幸一さんと広島でゴルフしているとき、記念館に適したいい場所があると言ったら、星野さんは『お金は出すけど、もの(収蔵品)はないよ』と言っていた。だから収蔵品は死に物狂いで集めた。監督の実家の倉庫まで全部開けた」

 「開館のとき、星野さんは『ここは未完成。必ず完成させる』と言った。(17年)星野さんが野球殿堂入りして、そのプレートが記念館にやって来たときに完成した。記念館は自分の『応接間』だと言い、年に1、2回は来てくれた」

監督要請で相談も

-プロ野球についてどんな話をしたか。

 「中日の監督要請を受けたとき、『名古屋来んか?』と言われてゴルフをした。『(監督)早いけどやろうかな』と言ってきた。辞めるときも『辞めようかな』と相談があった」

 「楽天の監督要請があったときも星野さんが岡山に来た。『三木谷浩史オーナーから食事に誘われて、監督要請があったんだ』と言ってきた。僕は『(日本代表監督で4位に終わった)北京五輪の汚名返上によか。楽天を優勝させればいい』と返した。星野さんは『でも(東北は)寒いんだよなあ』と心配していた」

 -13年、東北楽天が日本一に輝いた。

 「日本シリーズ初戦の前に『奇策を練っている。勝つぞ』と話していた。優勝して岡山で祝賀パーティーを開いた。ビールかけのユニホームも展示してあるけど、当時はまだビールの匂いがした」

 -小学4年の時にお母さんに買ってもらったグラブが記念館にある。

 「お母さんからもらった千円札を握り締めて買いに行ったという話を聞いた。航空技術者だったお父さんは、星野さんが生まれる前に亡くなった。だから生活は貧しかったと思う。お母さんが働いて生計を立て、当時の月給は7000円だったというからグラブは相当高価なものだった」

 -改めて、星野さんはどんな人だったか。

 「星野さんは、ユニホームが戦闘服。試合前、ホテルで2人きりになることがあっても何もしゃべらない。その日の試合に集中していた」

 「星野さんががんを患い、死の宣告を受けたとき、そのことを知らなかった僕に『記念館を閉館してくれ』とお願いしてきた。今考えると、死んだら運営が行き詰まると思ったのでは。みんなに見守られ、きれいな形で閉館する。これが星野流でしょう」

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