仙台空襲「爆撃中心点」プレート、繁華街に設置へ 「平和の礎踏み固めて」

プレートの型紙を手に設置場所を確認する(右から)新妻さん、桜井さん、大平教授=11月27日、仙台市青葉区中央2丁目の桜井薬局ビル前
設置される合金製プレートのデザイン(仙台空襲を記録する有志の会提供)

 1941年の太平洋戦争開戦から80年を迎える8日、仙台空襲(45年7月10日)で米軍が焼夷(しょうい)弾投下の目標にした「爆撃中心点」を示すプレートが、仙台市中心部の路面に設置される。市民有志が「多くの尊い命を奪った戦争の悲惨さを後世に伝えたい」と企画し、「歴史を忘れず、平和の礎を踏み固めてほしい」と願う。

開戦80年で市民有志企画

 中心点は、今は歳末の買い物でにぎわう青葉区中央2丁目のクリスロードと東三番丁の交差する辺り。銅とスズの合金製で直径45センチの円形プレートが、桜井薬局ビルの1階入り口の通路に埋め込まれる。薬局を経営する桜井昭(てる)夫さん(72)が協力した。

 設置計画は、有志代表で宮城学院女子大の大平聡教授(66)と市民グループ「仙台・空襲研究会」(新妻博子代表)のメンバーが寄付を募り進めてきた。プレートには「仙台空襲爆撃中心点」と刻まれ、米軍爆撃機B29が侵入した方位を矢印で記した。

 大平教授らは昨年7月にも、同ビルの壁面に「仙台空襲を記憶する場」と題したアクリル板を掲げた。爆撃中心点の空撮図(米国立公文書館所蔵)や解説文を載せている。

 戦禍を伝えるモニュメントが戦災からの復興を遂げた繁華街にあるのは、全国でも珍しいという。

 新妻さんは「忌まわしい歴史的事実の上に、今の繁栄がある。時の経過とともに、人々から戦争の記憶が薄れていくことを危惧している」と話す。

 「日常生活の空間の中でその足元に目を凝らし、プレートを踏みしめて平和の礎を踏み固めてほしい」と大平教授は願う。

 仙台空襲では、123機のB29が市中心部を夜襲。約500ヘクタールが焼け野原となり、市民1399人が犠牲になった。

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