仙台にあった「小田原遊郭」 「鬼滅の刃」新作で見つめ直す地域の歴史

 人気テレビアニメ「鬼滅の刃」の新作「遊郭編」の放送が5日に始まる。主人公の竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、遊郭に潜む人食い鬼との戦いを繰り広げる。舞台は大正時代の東京・吉原遊郭だが、仙台にも明治中期から昭和中期にかけて、東北一とうたわれた「小田原遊郭」があった。忘れ去られつつある色街の歴史を振り返る。(編集局コンテンツセンター)

明治30年代の小田原遊郭

黒板塀の入り口に大木戸

 「夕暮れともなれば、ここ彼所(かしこ)で食事や入客あいづの拍子木の音が高々と響き、引手茶屋には化粧たっぷりのお女郎衆が前帯に着飾り、煙草(たばこ)盆に長キセルのいで立ちで客待つ風情は実に見物(みもの)であった」
 郷土史家の故三原良吉氏が監修した「仙台あのころこのころ八十八年」(1978年)は、昭和初期の小田原遊郭の雰囲気をこう伝える。
 小田原遊郭があったのは現在の青葉区小田原6丁目付近。宮町通から一筋東に入った一帯で、当時は「小田原八重垣町」と呼ばれた。河北新報社刊「宮城県百科事典」によると、大正時代は妓楼(ぎろう)33軒が316人の娼妓(しょうぎ)を抱えた。

 約200メートル四方の区画が黒板塀で囲われ、入り口の南中央には大門(大木戸)があった。周りは田んぼだったが、夜は店先に並んだ名入りのちょうちんがこうこうと輝いた、と伝わる。

戊辰戦争がきっかけ

 1988年の河北新報夕刊に掲載された「せんだい花柳巷談(こうだん)」などを基に、小田原遊郭ができるまでの経過をたどってみたい。

 江戸時代は1660(万治3)年の伊達騒動勃発以来、仙台城下に遊女屋を置くことが禁止されていた。花街といえば、船着き場がある塩釜や石巻だった。

 禁制が破られたのは200余年がたった1869(明治2)年。戊辰戦争で新政府軍が乗り込んできたことがきっかけとされる。塩釜などから移転してきた遊女屋が28軒、青葉区国分町かいわいで営業を始めた。

 にぎわいが増すにつれ、官庁街に近く風紀上好ましくないと反対の声が起こった。1878(明治11)年、県令により広瀬川沿いの常盤町(現在の仙台市民会館付近)に17軒が移転させられた。

 ところが、今度は陸軍第二師団から苦情が上がる。川向かいの川内に兵営があり「兵士の士気に影響する」とされた。1894(明治27)年の再移転先が小田原。当時は小田原遊郭ではなく、名前を引き継ぎ「新常盤町遊郭」と呼ばれた。

妓楼だった建物の多くは戦後、旅館に変わった。一帯は「旅篭町」と改称され、修学旅行生らが多く宿泊した=1961年6月

農村の貧窮と表裏

 遊郭の隆盛は農村の貧窮と表裏の関係だった。1929(昭和4)年の世界恐慌のあおりで、輸出品だった東北の生糸価格は3分の1、コメは半値に暴落。重い小作料にあえぐ農村で「娘身売り」が急増した。「青森県農地改革史」によると、大凶作があった1934(昭和9)年は「芸娼妓(げいしょうぎ)に売られた者は累計7083人に達した」。

 1999年の河北新報朝刊に掲載された「時よ語れ 東北の20世紀」は、村から「売られてきた」娘が楼主と取り交わした証文(契約覚書)を紹介している。

 農家である親は1300円の前借金を受け取り、かたとして娘を渡した。「当時、仙台では1000円で2階建ての家を買えた」という。娘は家族を食べさせるため、体と心を犠牲にして稼いだ。借金を完済するか、借金を肩代わりする男性に身請けされるまで、一人で門外へ出ることもかなわなかった。

 第2次世界大戦後の1946(昭和21)年、連合国軍総司令部(GHQ)が「人身売買である」として公娼(こうしょう)制度を廃止。12年後の1958(昭和33)年、売春防止法の完全施行で遊郭は消えた。妓楼の多くは旅館や官公庁、民間企業の合宿所に変わった。

解体が報じられた3階建ての建物。元は妓楼で、戦後は旅館となった=1977年11月2日、仙台市青葉区小田原6丁目

街路に当時の面影

 木造3階建ての威容を誇ったある妓楼は1977(昭和52)年に旅館を廃業し、取り壊された。遊郭の一部だった最後の建物は1992(平成4)年に解体された。

 住宅地となった今、当時の面影を残すのは街路の形状ぐらい。「大門通」と呼ばれる目抜き通りは、周辺と比べて不自然に道幅が広い。集合住宅の名称に、かつての屋号が引き継がれていることに気付く人はほとんどいないだろう。

 形は消えても、文化は残っている。夏の風物詩「仙台七夕まつり」だ。元々、各家庭の素朴な飾りが中心だった。現在につながる豪華絢爛(けんらん)な竹飾りは小田原遊郭が発祥といわれる。前述の「仙台あのころこのころ八十八年」によると、大正初期から昭和初期にかけて「市内で一番の賑(にぎ)やかさ」だったという。同様に、盆踊り大会を仙台名物に引き上げたのも遊郭とされる。

現在の小田原6丁目かいわい=2021年12月2日

街の見え方変わる

 市内の出版社・荒蝦夷「仙台学」編集長の千葉由香さん(57)は2018年、「みちのく仙台常盤町 小田原遊廓随想録」(カストリ出版)を出版した。大正生まれの周辺住民の声を丹念に拾い集め、悲惨さだけではなく、周辺地域と深く付き合って生きた女性たちの日常を浮き彫りにした。

 千葉さんは「アニメが足元の歴史や文化に興味を持つきっかけになるだろう。偏見ではなく、正しい知識を記憶にとどめることで、今の街の見え方は変わってくるはずだ」と話す。

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