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若手記者がプロジェクトチーム 新たな発信模索、3月に記事第1弾

 東日本大震災の発生から11年の歳月が巡ろうとしている。この間、震災を知らない若い世代が増えてきた。あの日の悲しみを繰り返さず、遺族がいまだ抱えるつらさに思いを寄せるため、何ができるのか。昨年12月、震災後に入社した河北新報社の若手記者が「震災報道若手記者プロジェクトチーム」を始めた。紙面やオンラインでの発信を通じて、読者の皆さんと震災伝承を共に考える。

取材のアイデアを出し合う参加者=昨年12月15日、仙台市青葉区の本社

 河北新報社の編集局員約190人のうち、震災後の入社は45人。直後の災害報道に関わっていない記者が4人に1人を占める。

 震災報道の経験や取材先の社内継承は待ったなしで、チームに参加する記者約40人は定期的に話し合いや勉強会を重ねながら、SNSなど紙面にとらわれない発信を模索する。

 行方不明や関連死を含め約2万2000人が犠牲となった巨大災害。復興に置き去りにされるように遺族は心境を語りにくくなっている。東京電力福島第1原発事故も相まって被災地の課題は複雑化し、若手記者は容易に手を出せない気後れも感じている。

 「東京出身で、自分にできるか不安がある」

 「相手を傷つけない取材力が足りていない」

 「取材し尽くされている気がする。どんなテーマを書けばいいのだろう」

 昨年12月に本社であったキックオフミーティングでは、被災地の新聞社が担う役割に戸惑いの声も漏れた。「記者の主観がにじむ記事でハードルを下げてはどうか」「災害とジェンダーを多角的に追う」など前向きな案も相次いだ。

 チームは震災11年を迎える3月に第1弾の記事を紹介する。その後も入社する記者を加えながら随時紙面展開し、オンラインも活用して風化防止や災害への備えを呼び掛ける。

 プロジェクトの狙いに関し、今里直樹報道部長は「最大被災地の新聞社として震災を教訓に『いのちと地域を守る』ことが使命。15年、20年報道の中心となる若手たちが今から何ができるか。新鮮な目で震災を追体験し、息長く活動を続ける」と強調する。

先輩の話に耳を傾ける若手記者たち=11日

先輩記者招き勉強会も

 プロジェクトチームでは、先輩記者の経験を、震災後に入社した若手に伝え継ぐ勉強会も開いている。今月11日は、震災当時の気仙沼総局長で自身も津波に見舞われた生活文化部の菊池道治記者(63)が、約30人を前に被災の記憶と震災報道への思いを語った。

 菊池記者は避難したビル2階で津波に遭い、九死に一生を得た。「被災者」と「記者」のはざまで心が揺れ「翌日の朝刊に体験を掲載できなかった悔いが今もある」と打ち明けた。

 被災地取材の経験を踏まえ「未曽有の出来事に、関わった全員が震災を語る言葉を持っている。私たちはそれをできるだけ拾い集め、誰かに伝えなければいけない」と訴えた。

 震災報道の心構えを質問した若手記者に、菊池記者は「災害の局面に応じて自ら考え、行動できる力がいる。若い皆さんには『わがこと』の意識を持ち、日々の仕事に向き合ってほしい」と助言した。

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